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【ひつじが週報】200229-200306

●200229

閏年。四年に一度おまけみたいに貰える特別な日だからか、普段より少しばかり店内が賑やかに。もう毎年閏年であってほしい。展示期間中につき、在廊中の作家勢も含めて店内における作家比率も普段より少しばかり高かった。だからといって創作云々の話になるわけでもなく、いつもと変わらない当たり障りのない話で花が咲いていた。作家さん同士はすでに顔見知りであることも多く、店内で顔をあわせると一箇所に固まる傾向にあるが、そんな中で作家ではない方がふらっと来店されることもある。この日もそんな感じだったが、入ってあたりを見渡した後、すっと空いている席に座って本を取り出して黙々と読んでいて、素敵だった。

知り合いがたくさんいる空間だと、安心して声が大きくなったり周りが見えなくなったりすることはある。どこだって(初めての場所だって)まるで『自分の場所』のようになってしまうので不思議だと思う。でもそれは気のせいで、その場所には自分以外の人も含めた全員のための場所でもある。もちろんその時々の状況によっては《全員=一人(他に誰もいない)》可能性もあるけど、その時にもそれが全員である意識を持って空間全体を見渡しておくのが場で過ごす上では大切なのかもしれない。お店に限らず、誰か他の人が来るかもしれない場であればどこだって。

そういうちょっとの俯瞰の積み重ねで場は物凄く美しくなる、はず。

追伸:

ひつじがノートで連載が始まった「ブチギレキャットマンガ」がおすすめです。

●200301

遡ること数日前、来店されたお客さん達とふと学生時代に流行っていた(実際は流行っているのを遠目に見ていた)プロフィール帳の話になった。SNSが浸透している昨今の世の中ではもう廃れた文化だろうと思っていたが、どうやら今でも販売しているらしく、話している間にうちの一人がその場で購入していた。どこにいても買い物ができるネットショッピングの良さであり、おそろしさである。

それから数日経ち、届いたプロフィール帳を持ってご来店いただいた。今っぽいイラストのファンシーなバインダーに個人情報を列記するためのシートがまとめられていて、その中の一枚を貰った。学生時代にもらった記憶が滅殺されているので、数十年越しに他人のプロフ帳に書くという経験をクリアすることとなる。小学生の自分に「安心して良いよ」と伝えてあげたい。記載事項は全体的に昔と変わらない(と思う)ものの、さすが現代、[SNS ID]を書く欄がしっかり設けられていた。

展示最終日と翌日から別の展示が始まることもあり、遅い時間帯は搬出と搬入がかち合っていた。その間にも作家さんたちと作家じゃないお客さん達が展示作品や創作について話していたり、関西出身の人たちが漫才みたいなテンポのいい会話を繰り広げていたり、比較的賑やかな日だった。

●200302

昨日から一転、凪営業。3月から『ひつじがの自由研究』と題して店内で二つの試みを実験的に行なっている。ひとつが「フード持ち込みの許可」で、長らく課題になっていたひつじがでお腹が空いた時どうしようもない問題を解決する手段としてお試しで始めてみた。詳細は店舗メニューを閲覧してもらいたいが、フードを持ち込みする場合のみチャージをいただく(通常ノーチャージ)ようにしている。これも実験なので今後どうしていくかはわからないが、それでも一般的なチャージ料よりは抑えていると思うので了承してもらいたい。

そんなフード持ち込み最初の利用者は大学生の女の子だった。持ってきたのはその辺のスーパーで買える三色団子。明らかにチャージ料よりも安い。それでもどうしても今食べたいとのことで、チャージを支払って団子を食べていた。和んだ。

フード持ち込みに限らず、お店をやっていく中で可能な限りルール的なものを定めないようにしていきたいと思っている。そりゃ無法地帯になるのは恐ろしいので最低限は設けるけど、過度な縛りで過ごし方を決めつけることで本来味わえるはずの面白さまで潰してしまうのは勿体無い。なるべく関わる人たちでどうすればそこが心地よくなるか、そこにいる人たちが楽しくなるかを考えながらその都度つくっていけたらと思っているし、自由研究もそれを実現するための一環。これからもいくつか提示していくので、ぜひ考えてご自由にお使いいただけたらと思う。

●200303

ご近所の方がジョギングの合間に立ち寄ってくれて、ひな祭りのお菓子を差し入れにいただいた。幼い女の子から対極にある自分が貰って良いものかと一瞬ためらうもせっかくのご好意なので有難く受け取る。とはいえ自分だけで食べるのは憚られるので、来られた方にほとんど差し上げた。

この日も持ち込みを利用された方がいて、アイス(雪見だいふくパンケーキ味)を皆さんで食べられていた。よっぽど美味しかったらしく、三人で8つの大福を食べられて(内訳は未詳)、さらに在廊していた作家さんと自分の分も追加で買ってきていただいた。店の前のコンビニから当該アイスが消えたのでは、と思うほどその日だけでそのアイスのパッケージを沢山見た。

●200304

不要不急の外出が控えられている影響か、来店は少なめ。店内で展示している作家さんが過去在籍していた学校の先生が作品を観に来店された。同時にその作家さんがバイトしている先のお知り合いの方も来店され、店内が一瞬にして授業参観ムードに。在廊していた作家さんは終始照れ臭そうにしていた。

この日はイラストレーターになりたいという若いお客さんが来られていて、在廊している作家さんに絵の描き方を色々と質問していた。またたまたま先生方がいらっしゃったので、照れながらも描いた作品を見せられていた。そういう風に予期せぬところでつながりが生まれるのは面白いし、場をやる醍醐味だと思う。

福岡で活動している若いクリエイターさんは自分が想像しているよりも多く、それを目指す若い人たちもまた沢山いる。そういう人たちが活動していく中で、何かしらの役に立てるような場所にしていきたいし、何より若い人たちが活躍する地域になれば街も盛り上がる。もちろん作家さんに限らず、色んな分野の若い人たちが勢い良く活躍できる世の中を作っていきたい。(小さなところから)

●200305

時折店内で新しい遊びが瞬間的に生み出されることがある。この日は学生さんたちがひつじがノート(自由帳)を使って『概念絵しりとり』なる遊びをやっていた。ただの絵しりとりではなく、伝えるお題が《概念》でなければならない。これが意外と奥深く、というかそもそも概念の概念も良くわかっていないので、だれかが一つ描くたびに「これは概念か…?」と全員で立ち止まって頭を捻っていた。ただでさえ伝えるのが難しいもの(概念)を、さらに難しい手段(絵しりとり)で伝える。それを楽しめる若者は素晴らしいと思ったし、アハ体験の連続を目の当たりにしてこちらも楽しかった。

ひつじがの本棚は近くのホームセンターで手作りしたものだが、そこのホームセンターのリーダー的立ち位置の方が展示を見にご来店。展示されている額縁の話で盛り上がる。今回割と大きなサイズの作品が飾られていて、それを飾るための額縁はそのホームセンターで手作りされている。そんな感じで何でも作れる最高のホームセンターなのだが、何でも作れるからといって実際に作るのはごく一部。なんだってそうで、やってみたら案外誰にでもできることでも実際にやるのは限られた人だけ。そのぐらいに《やる》のはむずかしいとされている。やっている人間がどれだけ「むずかしくないよ!」と言っても実際にやる人間がそう思わなければ意味はないし、なんにせよ自分がどう思うかに左右される。なんでも難しいからと諦めるのをやめて「どうやったらできるか」を考えたら、意外と近いところに答えが転がってたりするかもしれない。知らんけど。

(「知らんけど」って物凄く収まりの良い魔法の言葉ですね。)

●200306

日々の来店数減少よりも、思いついた催しを(何も気にすることなく)実行に移せないもやもやの方が大きいこの頃。当然これは自分だけに限った話ではなくて、同じようなもやもやを抱えている業界関係者の方が来店され、じゃあこの(目立った行動が避けられる)間に何をするかなんてことを話していた。

個人的には手洗いうがいの予防などは意識しつつ、過剰に気にせずどんどん外出しているけど、それをそのまま世間様に押し付けることはできない。いつからか開店投稿で「ご来店お待ちしてます」と気軽に書けなくなった。これは気持ちの問題でしかないけど、たぶんそんな形で「意識」して何かを思い留まっているのも自分だけではないはず。病気とは違う、でもそれに紐づく何かに感染している感じ。

とはいえ強制閉店を言い渡されない限りはいつも通り開店して、気をつけるところに気をつけながらいつも通り営業する。どの行動を選ぶのが正解なのかわかりにくいからこそ、どうなっても納得できるよう自分で考えて選んでいきたいし、(おそらく考えた上で)いつも通り過ごすことを選んで来店してくれる方々にきちんといつも通りを提示できるように心を保っていたい。たぶんそういう日々の選択の延長線上に本当の意味での「いつも通り」もあるはず。