今更ながらピースボートの体験を振り返ってみる(各論)

総論に対して各論。各寄港地の話をしようと思います。
総論はこちら↓

110日間、20カ国、21寄港地のメモ 2007/9/23 横浜出向2007/9/30 ベトナム・ダナン2007/10/4 シンガポール2007/10/10 インド・コーチン2007/10/19 ヨルダン・アカバ2007/10/22 エジプト・ポートサイド2007/10/25 トルコ・クサダシ2007/10/27 ギリシャ・ピレウス2007/10/29 マルタ・バレッタ2007/10/31 イタリア・チベタベッキア2007/11/2 スペイン・バルセロナ2007/11/6 スペイン・ラスパルマス2007/11/15 キューバ・サンディアゴデクーバ2007/11/18 ベネズエラ・マラカイボ2007/11/21 パナマ・クリストバル2007/11/25 エクアドル・グアヤキル2007/11/28 ペルー・カヤオ2007/12/7 チリ・イースター島2007/12/15 タヒチ・パペーテ2007/12/23 ニュージーランド・オークランド2007/12/27 オーストラリア・シドニー2008/1/2 パプワニューギニア・ラバウル2008/1/10 横浜

2007/9/23 横浜出向

横浜大さん橋からドキドキ出港。ピースボートは各クルーズごとに出港曲を決めるのですが、私のときは下記の曲でした。

同室の人と「はじめまして」を慌ただしく済ませ、始めてのディナー。
クルーはみんな外国の人で、ディナーはクルーがサーブしてくれました。
(丼もの中心の気軽な食堂もありましたし、普段は普段着でOKでした。たまにフォーマルの日でドレスコード決まってたけど)
客船の旅行って優雅なのだなぁとぼんやり。

感動の出港を迎えて、一夜たった次の日、船の位置を見に行ったら
(1日1回更新される)
まだ沖縄でみんな「え、まだ日本www」ってなってたの思い出します。

2007/9/30 ベトナム・ダナン

はじめての寄港地は、ベトナム・ダナン。
ピースボートはよく使う寄港地みたいで、オプショナルツアーが完全パッケージ化。地元の小学生が出迎えてくれてました。
オプショナルツアーの人たちを横目に同室の人たちと五行山へ。

行きは良かったけど、帰りはバイク乗せてくれたおじさんにぼったくられた気がするw
あ、そうそう市場にも行きました!せっかくだし、と確か2ドルぐらい値切って記念に服を買いました。(まだ持ってる。なんならまだ着てる)
ベトナムといえばやっぱりバインミー。さすが、フランスパン超うまー!

2007/10/4 シンガポール

出港日の次の日から、船内学習プログラムの「地球大学」は始まっており、毎日のようにゼミに行っておりました(苦笑)

シンガポールはこの地球大学のオプショナルツアーの地。
テーマは「日本と戦争」でした。
実は、シンガポールは戦時中日本が占領していて、凄惨な血の歴史が刻まれた地です。日本において戦争って終わったものだけど、まだ終わっていない戦争が世界のそこここに残されていたりします。

そんなわけで、記念碑と日本人墓地を巡り、中華料理食べてツアー終了。
マーライオン見てないのは、ずっと船の上でも語り草だった・・・。

2007/10/10 インド・コーチン

インドではみんなサリー作ってましたねー。私は作らなかったけど(笑)
船の中ではまことしやかに「インド」と「ヨーロッパ」で体調崩すと言われていました。

インドは言わずもがな、水と環境が原因です笑
怖すぎて何も食べれませんでしたwww
飲んだのはリプトンの紅茶のみwww何その思い出www

2007/10/19 ヨルダン・アカバ

ヨルダンは、「地球大学」UNIT2のツアーの地。
「パレスチナ問題」がテーマです。

パレスチナ問題についてちゃんと勉強できたのは、結構財産だったかも。
ヨルダンでは、「パレスチナ難民キャンプ」で2泊のホームステイをしました。これぞピースボートの醍醐味。

パレスチナ問題は、ざっくり説明しづらいけど、イスラエル(ユダヤ人)ともともとイスラエルの地に住んでたパレスチナ人の民族闘争。
ユダヤ人は、歴史上ずっと迫害され続けてきた民族なこともあって一概にどちらが悪いとかそういう話でもありません。パレスチナの人たちは周辺国に難民として散り散りになってますが、ヨルダンでは国籍を与えられるなど、難民としては優遇されているほうです。

1日目と2日目、それぞれ違う家にお世話になりました。
1日目はたしか、旦那さんがもういないお家だったかな。女性ばっかりの場だと、みんな開放的でだったのがすごく印象的。
男性が来た途端、鬼のように怒りながら顔を隠してました。
やっぱり、外にだすのはNGなんだなぁ。

2日目は、なんと、第2夫人のお家へ。
一夫多妻制なものの、本当に複数奥さんがいる人って少ないらしいです。ご飯もいっぱい出してくれて、たくさんおもてなししてくれました。奥さんは、すごく綺麗で静かな感じの人だったかすかな記憶・・・。
(何故かこの日、ものすごい便秘だったのは環境の変化のせいでしょうか)

ヨルダン→エジプトへはツアーの関係上、空路での移動だったので、船が出発した後もヨルダンに延泊。ホテルが3つ星だったらしくて、夢のようにご飯が(特にデザート)美味しかったのはまだ覚えてる・・・。

3日目は、ヨルダンとイスラエルの国境沿いにあるキリスト教の聖地へ。私はバプティズム・サイトと聞いたんだけど、あんまり一般的な名前じゃないようです。

イスラエルの国旗がイスラエルの都市開発によりほとんど水を失ってしまったヨルダン川のすぐ向こうに見えました。でも本来、ここからヨルダン川の向こう側の土地は、パレスチナ自治区だそう。

イスラエルがパレスチナ自治区を実効支配していることが垣間見える場所でした。

そして死海。まじで体浮くよね。体中ピリピリしたけど。

2007/10/22 エジプト・ポートサイド

エジプトへは空路で。ロイヤル・ヨルダン航空

スエズ運河を船で通れなかったのはちょっと残念だったかな。
空港のスタバでみんなヨルダンタンブラー買ってた笑

エジプトは、なんてったってスフィンクスとピラミッド!
なぜか芸人のゆうたろうがいたりとかしたけど笑(スーツで暑そうでした)

エジプトは日本人観光客が多いので、日本語ガイドがすごい多い。
日本語ペラペラの上に、演歌が大好きなガイドの「むーちゃん」で、いつの間にか仲良くなって、今もFBでつながってたりします。元気かな^^

エジプトでアラブの春が起こったのは、帰国したあと。友人が亡くなったんだよ、と教えてもらったのがとても印象に残っている話。

2007/10/25 トルコ・クサダシ

エジプトの次は、トルコへ!

ここから地中海エリアで、ガラッと文化圏が変わる。
東と西の違いがはっきりします。
急に町中にヌードとか、大人向けのコンテンツが目につく様になります 笑

トルコでは、皆でタクシー使って「エフェソス」へ。

すごーく大きく、広い場所の遺跡群なので、見応え抜群。
遺跡とはいえ、こんなだたっぴろく、そのまま残してると言うのが、日本とは違うなぁ、と思った記憶があります。

あとトルコは親日なので、みんな日本語で話してくるし、なぜか皆ハンカチ落としてくるんだよね。笑

そういやエジプトのバザールでも「山本山」すごい言われたなぁ

2007/10/27 ギリシャ・ピレウス

Greece! 当然パルテノン神殿へ向かったのですが。
向かう途中、眼の前が一瞬真っ白になったとおもったら、そのまま体調が急激に悪くなりました。眼の前の比較的なだらかな坂を10メートル登るだけでも体がしんどくて息が上がってしまう。
何故か、ほぼ同じような症状の子がいて、二人で励まし合いつつ、登りきり、神殿をなんとか目に焼き付け、そのままとんぼ返りで船へ帰船。

ヨーロッパ体調崩す、本当でしたわ(汗)

しかしあれはなにが原因だったのか。

2007/10/29 マルタ・バレッタ

私にとってのマルタ島。=村上春樹。ねじまき鳥。
ちょっと憧れだったマルタ島。

はちみつの島。はちみつ色の街並み。マルタに行くなら船で。
船で入るときの街の風景が世界一綺麗とも言われているそうで、入港時、デッキには人が溢れてました。

巨石神殿をいくつか見に行ったのだけど、前提知識なさすぎて「???」となったのはご愛嬌。

2007/10/31 イタリア・チベタベッキア

ローマは「世界中からスリ」が集まると言われたことが衝撃的。

ローマはそれこそいつでも行けるし、体調もあまりよろしくなかったので、船の周辺でのんびり過ごしていました。

なんなら、1時間ぐらいで船帰って寝てた。

2007/11/2 スペイン・バルセロナ

ガウディ!ガウディ!ガウディ!

サグラダ・ファミリア グエル公園 カサ・ミラ

サグラダ・ファミリアのイメージしかなかったけど、ガウディってモザイクが特徴的なんですよね。グエル公園が可愛すぎて目がハート。モザイクのトカゲとか可愛すぎるんですけどぉぉぉ!

バルセロナは、地下鉄も発達してて街移動もすごくしやすかった。また行きたいし、次はバルセロナから飛び出してダリ美術館とか生家とか行きたいんだぜ。

2007/11/6 スペイン・ラスパルマス

日本における沖縄のような。ヨーロッパの一大リゾート地、ラス・パルマス諸島。ここからアメリカ大陸までほぼなにも無いので、中間地点的に降り立つことが多いみたい。

リゾート地なので、海とショッピングモール、以上。

2007/11/15 キューバ・サンディアゴデクーバ

キューバに行った記録があると、半年間アメリカには入国できない。
これ、いまは解除されたのだろうか?

キューバは、外貨の稼ぎ方が面白くて、観光客用の通貨が存在。
だいたい、国民の5倍ぐらいのレートで換金される。値札も国民用と観光客用の2種類で表示されてる。

ラムと葉巻の街。

そして、本当に失業者多いみたいで、平日だと言うのに原宿みたいな人の溢れっぷり。皆踊っている。

あと、クラッシクカーが多くて(というか輸入が止まってて)町並みが超レトロ。可愛すぎて車とバイクの写真をこれでもかと言うぐらい撮った。

トルコ石があしらわれたサンダルを買った。盗難がおおいので、片方しかショーケースには無くて、もう片方は店の人に出してもらうんだけど、あとでよくよく見たら、左右サイズ違いでした 笑

2007/11/18 ベネズエラ・マラカイボ

地球大学unit3のツアー地。テーマは「グローバリゼーション」

アメリカから搾取され続ける政策に反抗していたチャベス大統領の全盛期の頃だったので、今のベネズエラの状況は見ててなかなか心が痛い。。。

2007/11/21 パナマ・クリストバル

パナマは「世界一危険な国」と呼ばれているらしい。

時計とかつけてほっつき歩いてたら、ホント、ナタで腕ごと切られるからほんまツアー以外で港出るなよ?って言われてました。

でも1日暇だし、と思って船内でパナマの動物園ツアーに申し込み。
船内だと、クレジットカードの精算には、カーボン紙でクレジットカードの情報を写し取るので、「ああ、だからクレジットカード番号とかって凸凹してるの?」と思った記憶。

そして、パナマ運河。
パナマ運河は小さい船しか通れないので、飛鳥とかで行っても見れない場所の一つ。

パナマ運河は、大きいプールが連なってるような構造で、それぞれのプールに水を出し入れすることで船を渡らせる、というとっても面白い構造。
運河の両脇から専用の機械で船を引っ張って移動させるんだけど、この機械が日本製で「にんてんどう」と呼ばれているらしいよ。

2007/11/25 エクアドル・グアヤキル

なにしてたか、全く思い出せない寄港地。多分なんかのオプショナルツアー行ってたんだとおもう。
イグアナ見てたのかな・・・?

2007/11/28 ペルー・カヤオ

ペルーもね、マチュピチュは行こうと思えば行けるわけで、というのとお金の問題で、「ビシャ・エルサルバドル」のツアーへ。

貧困層の人たちがなにもない砂漠に集まってできたのがこの街なのだとか。
1泊しただけなのでなんともですが、生活ベースはまだまだ整っていないなぁという印象を持ちました(停電、断水当たり前)

2007/12/7 チリ・イースター島

一度は行きたかったイースター島!
っていうかモアイしか無いよ!!!笑

モアイがなぜ作られたかは不明。でも、民族闘争でほとんどの人が亡くなっちゃって、作られなくなったんだそうですよ。。。

正座してるモアイもいるよ

2007/12/15 タヒチ・パペーテ

リゾート、海。海は天然のエメラルドグリーン。綺麗すぎ。
奮発してパレオを購入(まだ現役、ダイビング時に大活用)

2007/12/23 ニュージーランド・オークランド

キウイかバンジージャンプ。私はキウイを選んだ。

実は、仲良くなった中国籍の女の子の知り合いのクルド人の子がオークランドに住んでいて、会うことになりました。
このクルド人の子は数年前に日本から強制送還され、日本でも結構ニュースになった当事者の子で、無理言って一緒に行動させてもらいました。

特に、なにかを話したわけではなかったけれど。

2007/12/27 オーストラリア・シドニー

オペラハウスを横目に、動物園。
カンガルーばっかりだね・・・。

映画を見た。覚えてないけど。

2008/1/2 パプワニューギニア・ラバウル

スコール。雨は本当に突然にやってくるので、濡れるのが前提。

戦時中日本が占領下にしていた場所で、防空壕とか戦時中のいろんなモノがそのまま残されている。

それ以外はなにもない。のんびりした田舎の町。
日本に帰る前に田舎に帰省した気分になるような寄港地。

もうすぐ終わりだねぇなんていいながら。

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