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マンドラゴラが降ってくる。

「もし、あなたの描いているものしかネットに情報として残らなかったら、それが自分たちをあらわす全部ってことになるよね」

と、彼が私に言ったのは、つい先日のことだった。

日中には38度を超えた暑い八月。とある朝。私たちは食卓を挟んで向かい合わせに座っていた。彼は一足先に朝食を済ませて、ムーミントロールが描かれたマグカップで麦茶を飲みながら、片膝を立ててくつろいでいる。私は味噌汁が入った木製のお椀に口をつけながら言葉を返した。

「はあ、なるほど。じゃあ、あなたはムスメと踊ってて、黄色い変な帽子を被ってる人だね。あとは、そう、素敵な人。指輪の話を書いたから」

そういえば彼は先週も、ムスメと一緒に台所で踊っていた。両手の手のひらを上に向けて腕を一定のリズムで上下させながら、足を交互に上げて、「踊ってないよ、手を上げてるだけだよ」と二人して言って、おどけていたっけ。確かその日は所用で遠くへ出掛けるところで、私は水筒に紅茶を淹れていた。彼らはなぜか出掛ける直前になると、よく踊る。

『ネットにある分だけで人となりが見えてくるような、彼をあらわす文章を、もう少し増やしておこうかな』

彼の何気ない言葉からそのように思い立ち、さて、なにを書こうかと考え始めていたところ、数日も経たないうちに、早速、彼が彼らしいことを言ったので、これ幸いと気の赴くまま書き留めていく。

彼はその時、台所に立っていた。手元のフライパンの上では、菜箸がさらさらと動き、パスタがジュウジュウと炒められている。私は日中、ムスメの夏休みの宿題に五時間ほどつきっきりでぐったりしていたので、ソファーに座ったまま、彼が手際よく粉チーズをフライパンへ振り入れる様子をぼんやりと眺めていた。

「マンドラゴラ爆弾はどうかな」

「……?」

唐突に話が始まったのと、思いも寄らない単語が出てきたのとで、最初は私の聞き間違いかと思った。彼がそのまま話を続ける。

「鉢植えのまま、飛行機の上から降らせると、地面に着いた時に鉢植えがパリンって割れて、マンドラゴラが叫んでその周辺の人間だけが死ぬ。狙ったところだけを攻撃できる、地球に優しい兵器」

「……ああ。うん、ええと。生物兵器とかいうのですか。いや、うーん。バイオテロ?いや、バイオだと意味が違うか……」

私はまだ飲み込めないまま、なんとなく感覚で言葉を返した。マンドラゴラって確か、その叫び声を聞いたら死ぬので、犬に紐を繋いで引っこ抜く人参みたいな形をした奇妙なもの、だった気がする。

地球や世界に優しいという方向性のフレーズは、日頃も彼の口から時々出てくる。例えば世界情勢が不穏な空気を漠然と醸し出してくると、『宇宙人がある日やってきて、あなたたちをひとつにしてあげましょう、そうすれば争いも起こりませんから、平和でしょう。とか言い出さないかな。喧嘩すんのやめて欲しいわ、もう』などとよく口にする。もはや口癖なのだと思う。あとは、これも度々聞くのだけれど、彼は童話の『不思議の国のアリス』があまり好きではない。登場人物の全員が悪意を持って、よってたかってアリスに意地悪をしてくるところが、読んでいて胸がざわざわして落ち着かないのだそうだ。

彼はコンロの火を止めると、ケチャップとバターとチーズとで調味された出来たてのふっくらとしたパスタを青い大皿に盛りつけながら言った。

「バイオテロにするなら、アマゾンで配達しないと。荷物を開くとギャーッて叫ぶ」

「なんかあなた、そういうこと、よく言いますよね」

私が苦笑すると、

「いつもこういうことを考えてるのよ」

彼も苦笑して続けた。

「世界はいま戦争といえば領地や覇権争いだったりするんだけど、そのうちに世界の人口を減らす戦争をしだすやつが出てくるかもしれないのね。推理小説を読んでいて、こういうトリックならバレないのにって予測をする心理と同じなんだけど、いまこういう情勢ならこの先はこうなるのかもっていう予想をしだすと、じゃあどういう手段を講じられるだろうって考えるのよ」

……ここまで私が書いたところで、ムスメがひょいっとディスプレイを覗き込んだ。そして、けららと笑う。

「おかあさん、いま変なこと書いてあるのが見えたよ!」

そう言って、『鉢植えを飛行機の上から降らせると』から始まる文章を嬉々として読み上げる。

「うん。きみのおとうさんが言ったんだよ」

「ええ!?おとうさんが言ったの!?」

ムスメは半ば驚きつつも笑いながら、歯を磨いている彼のすぐそばにストンと腰を下ろした。

「一面マンドラゴラだらけになるよ!」

すると、彼はにやりと笑って、当たり前の様に言った。

「大丈夫。マンドラゴラは抜いたら死ぬから。鉢植えで降ってきた途端割れるから」

「人もマンドラゴラも死ぬの!?マイナスの方が多い!断末魔じゃん!」

「あれは野菜だから大丈夫」

「マンドラゴラって人参みたいなやつ?」

「そう」

するとムスメはいつものように、話題をコロコロと目まぐるしく変えて、いま読んでいる面白い漫画のことや、いまハマっているお気に入りの動画の話を彼にしていた。このあと、二人は寝室で眠る。私はしばらく起きていて、明日の準備と、今やっておきたいことを幾つか済ませる。

きっと私が寝室に行く頃には、ムスメがいつものように私の布団に陣取って転がっているだろう。私は寝室の壁とムスメとの狭い隙間でぎゅうぎゅうになりながら眠る。もしくは、彼がムスメの寝相によって壁際に追いやられているのかもしれない。

彼はいつもなにかを考えている。その話の展開が概ね変わった方向へ転がっていくところが、私は、楽しい。

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