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それは小さな別れの日。

雲一つない青空が眼前に広がっていた。

11時45分。待ち合わせ場所に現れた知人は、最後に会った日とさほど変わらない印象をまとって、私の傍らに佇んだ。
風のない好天に恵まれ、温かな日差しを背に受けながら、おのぼりさんみたいにタワーを眺めた。静かにゆったりと話す口調が懐かしくて、遠い記憶が呼び起こされる。会社に入ったばかりの頃に一緒にした仕事のこと。深夜の残業時間中、誰もいない筈の部屋から人の気配がして震え上がったこと。もう随分と昔の思い出話をポツリポツリと交わす時間は、クローゼットの奥にしまわれた小箱を開けるような心持ちがした。

かつて、ものづくりに自分の持てる時間と感性とを費やした日々を思い返す。届けたい先にいる人の姿を思い描きながら、そこをめがけて、魂を削ぐようにして情熱を注ぎ続けた。

何年経験を積んでも、自分の力はまだまだ全然足りていないのだという飢えを常に抱えて、暗い穴の底から月を見上げるような心持ちで、それでも作り続けることに魅了されていた。

完成品を手に取った人が、心地よく感じる操作性。見やすく美しく直感的な、わかりやすいデザインの追求。楽しさを妨げることなく、不要な拘りで歪ませることなくまっすぐに届けるために、昼も夜もなく、幾度となく話し合いを重ねた。
よりよいものが作りたい。同じ目標を掲げてひとつの場所へ皆で向かう日々は、斬りつけ合いも後悔も、切磋琢磨もあったけれど、かけがえがなかった。

知人と最後に会った日から過ぎた歳月を振り返ると、それはそれで、やはりいろんなことがあった。

自分のことを挙げるなら、妊娠、出産。その後、体を壊して四度の入院を経た。家族のことを挙げるなら、どの出来事も、これが一番、とは言い難い。

その日々の中で、いくつかの別れがあった。

親戚の何人かは鬼籍に入った。また、子供の頃、毎年夏になると泊まりに行っていた祖母の家も、もうない。

それから、お世話になった方たちとのお別れもあった。病院の面談室のような一室で初めて顔合わせをした日から指折り数えて、5年程経っていた。

夏などは汗だくで、重い用具を実家に運び込んでくれたりした。重いものを担いで団地の階段を上がるから、太る間がないのだと言って、いつも笑顔だった人。

振り返れば、何度も心が折れる場面があったけれど、どこから何に手を付けたらいいのかわからなくて困惑していた時、心細くてたまらなかった私たちに、彼女は必要なものが何かを指し示してくれた。

今日までたどってきた道を振り返ると、人との出会いと、別れとでできている。

「これが最後になるかもしれないからね」

知人が話の途中で冗談めかした。最後がいつ来るのかは誰にもわからない。振り返った時にはじめて、あの瞬間だったのだと知る。だから、機会があればなるべく、話せる時に話すのがいい。今度会うのは、いつになるだろう。

日が落ちる頃に解散して、懐かしさの漂う時間に幕を下ろした。互いに手を振り、背を向けて歩き出し、互いの日常へと戻ってゆく。この先、知人も私も、それぞれの知らない時間を積み重ねる。次に会う時は新しい話をするだろうか。これは、再び出会う前の、小さな別れの日の記録。


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