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いじめがエンターテインメントであるわけがない村上清の異常性と編集長山崎の罪深さと二次被害

小山田圭吾のいじめ問題で
あげられているのは2つの雑誌
『ロッキン・オン・ジャパン』と
『クイック・ジャパン』

先に出版されたのが
『ロッキン・オン・ジャパン』
この雑誌の大きな特徴の一つである
アーティストの幼少時代や
音楽的な芽生えのきっかけなどの
さまざまな経歴を問うた
「20000万字インタビュー」

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この中でいじめに関する部分は
3分の1ページぐらい
しかし、その衝撃は大きい

『全裸にして紐をグルグルに巻いて
 オナニーさしてさ
 ウンコ喰わしたり…』

とあるが誰が誰にとは書いていない
インタビューだと小山田本人が
やっているように受け取れるが。。。。

前半の『全裸にして…』の部分は
『クイック・ジャパン』の中で
主犯格は1つ上の先輩であり
それに同調する人もいたが
自分は引いていたと語っている

そこに(プロレス技かけている時に)
なんか先輩が現れちゃって。
その人なんか勘違いしちゃっているみたいでさ、
限度知らないタイプっていうかさ。
なんか洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃって。
素っ裸にしてさ。そいでなんか
『オナニーしろ』とか言っちゃって。
『オマエ、誰が好きなんだ』とかさ。
そいつとか正座でさ。
なんかその先輩が先頭にたっちゃって。
なんかそこまで行っちゃうと
僕なんか引いちゃうというか。
だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴も
いたりして(先輩の行為を面白がれる人)

……(中略)……

『オマエ、誰が好きなんだ』とか言って
『別に…』なんか言ってると
バーン!とかひっぱだいたりとかして
『おお、怖え〜』とか思ったりして

……(中略)……

(見ていて)かなりキツかったんだけど
それは。

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その場に、同席していた事は確かだし
同調したり煽ったりしなくても
それを見て見ぬ振りをしたなら
それは同罪と言われれば同罪だろう

しかし、被害者に対して
暴行もされていた中
盛り上がる複数名がいて
それを止めに入る事ができる人間が
世の中に何人いるだろうか?

空気を読めない奴として
次のターゲットになるのは確実だろう
その場で同じ事をされる可能性もある

今、彼を暴行だとか犯罪だとか
メディアで言っている人間の何人が
同じ状況で加害者を静止し
イジメを止める事ができるだろうか?

このイジメは修学旅行という場で起きている
その前にバックドロップをかけるなどの行為が
行なわれていたら音も声もでていただろう
引率の教師がその時点で注意し止めていれば
この悲惨な性的虐待は起こらなかった
のではないか?
何故そこを誰も指摘せず
同席していた小山田個人の糾弾
なっているのだろうか?

ろくに事実確認をせずに彼を批判している人間は
主犯格である先輩を周りで煽っていた人間と
同じではないだろうか??

中学生くらいの男子が
障がい者でなくても体の小さな子に
複数人でプロレス技をかける事は
遊びの延長線上にあることだと感じる

それだけなら経験した事がある人は
多いのではないだろうか?

上の引用では敢えて(笑)をはずしている

理由の1つには直後に書かれた

以上が2人のいじめられっこの話だ。
この部屋にいる人は、
僕もカメラマンの森さんも
赤田さんも北尾さんもみんな笑っている。
残酷だけど、やっぱり笑っちゃう。
まだまだ興味は尽きない。

と言うライターの言葉があるため
(笑)が小山田本人のものか
周囲を含めたものかの判断がつかない為

周囲が真面目に聞く中
本人が笑いながら話しているのと
本人の話にその場全体がウケていたのとでは
雲泥の差があるから

また、本人の話し方の特徴もあると
判断したためである
この本人の残念な話し方の特徴については
別で書く。

『ロッキン・オン・ジャパン』では
1ページの3分の1程度だったイジメの話題だが

『クイック・ジャパン』では
『いじめ紀行』と題され
なんと22ページも費やしている。

気づいた人は気づいたかも知れないが
この二つでは小山田の話し方が
若干違う
ように感じる
『クイック・ジャパン』では回りくどさや
接続詞が多いのに比べて
『ロッキン・オン・ジャパン』では
凄く簡潔で主語もなにもない
誰が誰にどんな経緯でがなくて
行為だけが書かれている

『クイック・ジャパン』では
沢田や村田のように具体的な被害者が
名前で書かれている
最初、実名かと思いドキッとしたが
一応、仮名らしい
名前があるぶん生々しいが

言われている性的虐待も
最初に『ロッキン・オン・ジャパン』を
読んだ時点では小山田が主犯であるように感じた

次に書かれている
『だけど僕が直接やるわけじゃない』のくだりで
裏ボスや参謀のようなイメージで
卑劣な奴だと思った

しかし、『いじめ紀行』の中の小山田は
その光景をキツいと思いながら
先輩を怖いと思いながら見ている
ただの傍観者だ


この2誌では全くの別の立ち位置なのだ

実際にライターに取材できるわけでないので
断定はできないが

先に出た『ロッキン・オン・ジャパン』の方が
小山田が謝罪文で書いた

事実と異なる内容も多く記載されておりますが

ということなのかも知れない

22ページにも及ぶ『いじめ紀行』には
センセーショナルだった
『ウンコを喰わせる』話が
他に主犯格がいる話としてすら出てきていない

前書きで、、、
なぜ『いじめ紀行』という鬼畜な企画を
思いついたかを村上は書いているのだが
その中で

昔読んだ『ロッキン・オン・ジャパン』の
小山田圭吾インタビューを思い出した。

そんな彼は私立小・中学時代
いじめる側だったらしい。
ヤバい目つきの人だなあとは思っていたが。
「全裸にしてグルグル巻きにしてオナニーさせて
 バックドロップしたり」とか発言してる。
それも結構笑いながら。

このクソ企画は前年に発売された
『ロッキン・オン・ジャパン』のインタビューが
なければ世に出る事はなかったかも

まさに山崎の犯した二次被害だ

村上が異常なのは
いじめをエンターテインメントと言っている点だ

そんなエンタメ好きの悪趣味な村上が
飛びつきそうな『ウンコを喰わせた』が
外されている事に注目している

一方で、音楽雑誌であるはずの
『ロッキン・オン・ジャパン』のいじめを
取りあげたページの見出しは

全裸でグルグル巻きにしてウンコ食わせて
バックドロップして……ごめんなさい

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もしこれをロックとして書いたなら
ロックに対する冒涜だ

このいじめの件を書く事で誰が得をするのだろう

「シリアスなロックをシリアスに語る」を
コンセプトに掲げるというなら
音楽の芽生えを問うのなら
高校の件からで良かったのではと
紙面を見て強く思った

この『ウンコを喰わせる』が演出としたら
かなり問題
のように思う

このインタビューだけでは
見聞きした話なのか
自分がやった話なのかは曖昧だ
小山田が実行したように印象操作はあるが

それこそ

紙媒体ならではの落とし穴だ


わたしはテレビの人間なので
もしこの時の取材テープが存在するなら
誰かにリークして欲しいし聞いてみたい
なにぶん27年前の話なので厳しいだろうが

今、テレビやネットいろんなメディアで
小山田を糾弾している人は
この情報元である雑誌のライターや
関係者に取材してから批判しているのだろうか?


もし、このインタビューが事実と違う場合
日本だけでなく海外のメディアまでもが
〝オリンピック〟と言う名の下
誤った情報を根拠に一人の人間を糾弾している
言い換えれば〝いじめ〟ていることになる

これはリテラシーどころの問題でなく
怖い事だと思う

小山田を擁護しただけで叩かれる世界だ
世界の真実はどこにあるのだろう?

言論の自由の迫害でもある事に
気づいていないのだろうか??

メディアに、非道として挙げられている
『ウンコを食わせた』の捏造を疑うのは

もう一つの問題点としてあげられている
性的虐待について2誌に違いがあるからだ  

何の報道機関に属さない私ですら
簡単にわかる事を疑問視しないで
よりセンセーショナルな方をとって報道する


今、犯罪だと糾弾して報道しているメディアや
批判を受け売りで垂れ流してる個人は
小山田を人選した五輪委員会の軽率さと
同じ穴の狢なのではないだろうか??

実際にこの2誌のライターや関係者に
取材をしたわけではないので
何が真実かわからない
こうなってはもし小山田が真実を話しても
受け入れない奴は多いだろう


私が『いじめ紀行』の方が真実と思うのは
紙面に書かれているのがより
小山田本人の言葉に近い気がするから


もともと村上の企画では
いじめた側の人がその後どんな人間になったか
いじめられた側の人がその後どうやって
いじめを切り抜けて生き残ったか
と言う観点でいじめを取りあげる事

そして

いじめた人間といじめられた人間を
引き合わせて対談させる事

小山田さんは
『今考えるとほんとヒドかった。
 この場を借りて謝ります(笑)』
とも言っている。
だったら、ホントに再会したらどうなるだろう。
いじめっ子は本当に謝るのか?
いじめられっ子はやっぱり
呪いの言葉を投げ続けるのか?
ドキドキしてきた。
対談してもらおう!

本当にこの村上清はクソだ
普通の神経なら考えつかないような対談を
面白がっているのだから

しかし、この
〝いじめた側といじめられた側の対談〟
を企画として持ちかけた
『クイック・ジャパン』の発起人で
当時編集長だった赤田祐一は
次のように答えている

面白いね、やってよ。
和光中学の名簿探してみるから

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何が面白いのだろうか?
脳味噌が頭につまっているのか?
神経を疑う。
いじめた側の人間はともかく
いじめられた側の人間が快く思うわけがない
公に発信する責任者としての
良識というものは皆無である

この赤田が最初の押し掛け取材に同行し
いじめの話に笑っていた一人だ

もちろん、対談なんて実現するわけない
22ページを埋めれるわけがなく
村上は小山田に泣きつくほどだ

つまり、

紙面を埋めるには字数が欲しい
故に、『ロッキン・オン・ジャパン』と比べ
小山田の言葉は簡潔さがなく
その場で話した事の書き起こし的で
信憑性が上がっていると感じる


また、都合良く切り取られた
いじめの描写だけでなく
本人の心情や普段の話も入っていたりする


全文を読んで
小山田圭吾の印象がガラリと変わった


その事については下の記事に詳しく書いた

この記事でも書いたけど
小山田はこの企画に乗り気ではなかった
取材を受ける前提では話していないので
どのように振られて彼が答えたのかはわからない
この取材テープもあるのなら聞きたい

そして、昨日ある記事をネットで見つけた

まぁ、、、慎重過ぎて中身がなく
次回7月23日更新予定に期待なのだけど

あの部屋にいて笑いながら話を聞いていた
第三の人物 北尾修一の書いたものだ

会って話してすぐに分かったことがあります。
M氏は壮絶ないじめサバイバー(生還者)で、
鬱屈した表現欲求の塊みたいなものを
内に抱えている人だと、
最初に会った時点で分かったんですね。

文がダブっているのはプロとしてどうかと思うが
それだけこの文章を書くことに
〝何か〟があるのかも

しかし、村上が自分がいじめサバイバーなら
相手も思いやれると思うのだが、、、異常だ

その場でM氏が
「就職活動も苦手で、うまくいく気がしないし、
将来はライターの道に進もうかな
 と思っている」
みたいな話をしてくれた

ミニコミ誌を発行していた村上にとって
この『いじめ紀行』が商業誌デビュー原稿になる
力が入りすぎたのかも知れない

村上は、アポなしで
被害者に電話をとったり
被害者宅に押し掛けたりした
まぁ、被害者の感情を考えれば
許される事ではないし

当然ながら、村上が思っていたような
取材はできていない

この事後承諾的な最初のインタビューの
場に居合わせたという北尾修一の
次の記事は
「02 90年代には許されていた?(仮)」
だそうだ、、、
確かに、こんな下衆な事が記事になるには
書かれた時代の空気感と言うのもあるだろう

90年代、私はロックが好きだった
この前90年代のMステを見て
こんな演出がテレビで放送される事への
驚きと自由奔放さを感じていた
いいかえれば、何でもアリ的な

しかし!

ロッカーが自分のライブで
生肉を観客にバラまいていたことを
インタビューとして載せるのと
(国民的に有名なミュージシャンですw)

犯罪まがいの過去のイジメを
載せるのでは意味が全然違うのだ

今は、無事に23日に記事がアップされる事を
切に望んでいる