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宇多田ヒカルの『BADモード』を聴いたら自分の存在意義に思いが至った話

ずっと「ここからいなくなりたい」という衝動をおさえながら生きている。

最近 LINE もまともに見られなくて、宇多田ヒカルのストリーミングライブのことをすっかり忘れていて、19:55、開始5分前にチケットを買ったけど間に合った。

というわけでアルバム未聴のままライブを見たんだけれど、『BADモード』を聴いていたら不意に「ああ、私調子が悪かったんだ」と気が付いてそのままずっと泣いていた。

元々この2年くらいずっと精神的な調子は良くない、なぜなら誰の役にも立っている気がしないから。誰かと付き合ってみたり、新しいことを始めてみたり、今は人と暮らしてみてもいるけれど全部だめで好い作用はしていなくて、それでも気分がいいときはあるのだけれど、最近は全然無理。

ずっと「ここからいなくなりたい」という衝動をおさえながら生きている。

これは決して自ら生を終わらせたい、という願望とイコールではない。それが厄介でもある。本当は誰にも迷惑をかけずそうできる方法があるならそうした方がいいのかもしれないけれど、自分で終わらせるというのもそれはそれでしっくりこなくてもんやり、まだ生きながらえている。

それでずっと「どういう風に人生が終わったらいいのか」ということを四六時中考えている最近、また調子が悪くなっていたんだなあと、宇多田ヒカルの声で気づかされたわけであります。

誰の役にも立っていない、私の存在意義ってなんだ。この間もドラマでその単語が出てきて、同居人と「それってなんだろうね?」って話し合ったところだよ。

もうすこしお風呂にでもつかって考えて、ニューアルバムもちゃんと聴いて、それでも答えは出ないと思うけれど、社会復帰はしようと思います。

ありがとう宇多田ヒカル。素敵なライブでした。

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