伝統から蘭学へ

杉田玄白がターヘルアナトミアを読んで日本の医学が、遅れていると判断した。しかし18世紀のヨーロッパでの医学水準は紀元2世紀の医師ガレノスを信じて行っていた。ガレノスは医学の父と称されているが、実際には動物しか解剖したことがなく生涯1度も人体解剖をしていない。何よりもガレノスは紀元前のギリシャ時代の医学の信仰者だった。ガレノスはこれまでの動物解剖で得た経験と手に取った臓器を四体液説に無理矢理に当てはめて自己解釈をして読んでいた。

そして杉田玄白がターヘルアナトミアを読んだ18世紀のドイツではターヘルアナトミアを理解しているか、オランダ語が読めるかが医師になるための最重要だった。そしてガレノスの四体液説を信仰した治療を推奨していた。内科医であれば嘔吐薬、下剤、水銀を患者に与えていた。もし治らないならば外科医に委ねて、瀉血を行い気を失うまで血を抜いていた。これは患者も容認しており、瀉血をしてフラフラになっていても『もっと血をぬけ』と外科医に怒鳴っていた。内科医にかかれば毒薬を飲み、外科医では死にかけるまで血を抜くのが当たり前だった。しかし17世紀の1600年代にはウィリアム・ハーパーが血液循環説を唱え論文にも書いている。それを18世紀の人達は読んでいたが、ガレノスの四体液説を信じていた。

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