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この胸に深々と突き刺さる矢



私の胸に深々と突き刺さるもの。それって何だろう。頭の中でぐるぐる考えてみても、人生においてそういったものはさほど多くないことを知る。平凡な人生、ということかもしれない。ダーツの矢とか吹き矢のような、ぷつっと刺さって、その瞬間はきっちり痛くて、でもいつの間にか抜けてしまうような出来事は、きっとそれなりにあったのだと思う。でも、私の根幹を揺るがすような、輪郭を塗り替えてしまうような、そんな深々と突き刺さって抜けない矢はひとつだけだった。


この胸に深々と突き刺さる矢を抜け | 白石 一文

普段読む小説とは文体が全く異なるからか、途中までは文章を頭の中に散らかさないことに苦戦していた。部屋の隅に積み上げられがちだった上下巻。見ないふりを決め込んだり、ちまちま読み進めたりで早2ヶ月。さて、どうする?と。放棄するのも手だなと。でもどうしても知りたかったのは、なぜこの本に、このタイトルが付けられたのかということ。この本を読み終えたときに渦巻く感情や解釈に触れたかった。


私の本の購入パターンは大きく2つあって、1つはSNSやら何らかの媒体でおすすめされているものを選ぶ方法。そしてもう1つは自分の心の赴くままに選ぶ方法。本屋の棚をぼやっと眺めながら商品をいくつか手に取り、装丁に心が動かされたら購入する。ちなみにこの選び方をしたいときに最適な本屋さんがあって。そこは世間で話題の!とか、SNSでバズり中の!っていう本は恐らく並んでいない。けれど店主さんの丁寧なセレクトが見て取れる本棚を眺めるのはそれだけで愉しいし、心に櫛を通して毛流れを整えるような感覚になる。


うだるような暑さの中、その日も書店を訪れていた。本棚に並べられた背表紙を見た瞬間、なぜだかタイトルが私にべっとりとこびりついて離れなかった。あらすじとか口コミとかなんでも良かった。そのタイトルに至った理由が知りたくて、気付けば一気に上下巻を買い上げていた。



なにも一気に2冊揃えなくてもよかったか、と後悔した瞬間も確かにあった。何軒かのカフェのプリンやコーヒーに後押しされながら何とか読み切ったおかげで、自分なりの解釈を持つことはできた。正直、全ての内容を咀嚼できた自信はない。作者が意図したように受け取れている自信もない。けれどもこの本に出会えてよかったと思う。読み通したときの心の機微を観察することができた。もっと言えば、このタイトルに出会えてよかった。流れゆく人生の中で立ち止まり、考えなくたって生きていけることを、考える時間をくれた。また一つ自分を知った。私は矢は抜かない。気付けばもう秋も深まっていた。

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