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あれってなんだったんだろうな、という話.2

なんとなく、あの出来事がなかったら今ここにいないような気がする。

去年私は「旅先で海沿いをドライブする」いう1人旅計画を立てていた。前年行った際はバスの乗り継ぎで大変な思いをしたのでどうしてもリベンジしたかったのだ。

とはいえ10数年以上運転しておらず、そもそも高速はおろかガソリンスタンドに行ったこともなければ車庫入れの経験もない。レンタカーを借りたところで目的地まで行って無傷で帰ってこれるかどうか見当がつかなかった。危ない気がするなと思いながらもどうしてもやり遂げたくて、なんとかなるだろうと言い聞かせながら旅行の準備を進めていた。

その日は、友達の手と車を借りて運転の練習をさせてもらう予定になっていた。

仕事が終わり最寄り駅で電車をおりたタイミングで、知らない電話番号から着信。会社の営業さんかと思って出たら、名乗られたのは予想外の名前、随分昔に好きだった人からの電話だった。昔過ぎて連絡先を削除していたし、声をきいてもわからなかったくらいだ。
約束の時間が迫っていたので、改めて連絡すると詫びて電話を切った。その後の運転の練習は動揺しすぎて全く手につかなかった。

電話の人は当時の私にとって憧れの人だった。2人で出かけたことなど1度もないしすることもないと思っていた。
再会の場になった初めての食事会は想像以上に楽しくて盛り上がり、たくさん笑ってたくさんお互いの話をし合った。朝まで話はつきなかった。
ただ、どう考えても突拍子のないタイミングでの電話について疑問に思い、何度も聞いてみたけど「なんとなく今だった」という返答をくりかえされるばかりで腑に落ちなかった。

その日を境に、憧れが再燃した。とっくに忘れていた分を取り返すかのような、業火といってもいいくらいの激しさだった。忙しい人なのでまともに連絡がとれず、仲良くなり方もわからず、その状況がよけいに油を注いだ。何日も独り相撲をくり広げて七転八倒し、ご飯が食べられず眠れず、ついには熱が出てきた。一向に下がらない熱は扁桃炎にかわった。

うなされるほどの熱なのに、旅行の日程は翌々日に迫っていた。
仕方なくすべての予定をキャンセルした。

その後しつこく再発しまくる扁桃炎と向き合いつづけ、治ったと思ったらインフルにかかり、ばたばたしているうちに年も明け、あの焦げそうな熱い気持ちはいつのまにかさっぱりと鎮火した。電話はあれ以来鳴っていない。

なんとなく、あの出来事がなかったら今ここにいないような気がするのだ。

ほんとうはひとりで行くのが怖くて行きたくなかったのかもしれない、危ないよと言われれば言われるほど意地になっていたのかもしれない、その気持ちの結果なのかもしれない。
今となったらなんとでもいえることだけど、あのまま強行突破して旅立っていたら、もしかして帰ってこれなかったんじゃないかな、と思う。

あの電話に出さえしなければ、と何度も後悔した。
けれど、あの電話のおかげで今こうして生きていられるのかもしれないと思うと、彼に電話をかけさせた流れや何かの力に、感謝したいような気持ちになってくる。

苦しい思いをしたけど、守ってもらったのだと思うことにする。

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