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1月の備忘録

さなかでないと味わえない気持ちがある。だからどんなときでも書き記していこうと思う。すべての文章を読み返すことはないけど、ずっとあとになって、不器用な自分の軌跡を尊く、微笑ましく思い返せるようになればいい。

身体ってほんとうによく出来ているんだな、と思う。回復なんて簡単なものだと思い込んでいた私は、身体さえなんとかなればいくらでも動けると思っていた。身体とひとくちに言っても、骨も血も筋肉も内臓もあって、それぞれが繊細に調和して動いている。どこかに支障が出ればがたがたと和が崩れるのは時間差で、だったら回復も「せーの」で全て元通りになるはずなどないのだ。よく考えたらわかることなのに、よく考える機会もなかったから、病気ってそのためにあるのかなと思った。

そして身体が思うように動かないということは、心にもすごく影響する。多少身体の調子が悪くても、気力でなんとか引きあげて連れていくことは出来るけれど、ずっとは続かない。いつまでたってもついてこられない身体に、心が疲れてあきらめてしまうのだ。様々な反応に鈍くなり、あらゆるものが面倒になり、縦より横になることを望むようになる。

いま私はそんな経過にいる。
現状に合わない期待をしすぎているのかもしれない。
自分に期待して、勝手に失望して、どんどん追いつめているような気がする。よく言われるがそれは別に真面目だからじゃない。

今できることをすればいいとか、あせらずにとか、そんな日があってもいいじゃないか、と、いろんな人が言ってるように私もそう思うし、出来ないもんは出来ないしこういうことをわざわざつらつら書きつのるのも面倒くさいと思う。どちらも自分だ。

毎日文章を書いていると、嬉しくて幸せで飛び上がりたいほどの出来事はそれほど多くない。じんわり幸せを感じることもたくさんあるけれど、それよりも気分が落ちたりなんとなく重だるいことが圧倒的に多いと感じる。そしてきっとそれだからいいのだとも思う。

月に2度の通院をくりかえしてもう1年になる。病院に行くと具合が悪くなるのはかわらない。

身体も心も不調でも、明日のことを考える。明日はどんな日になるのだろうと、楽しみだろうと不安だろうと、とにかく思いを馳せる。どんなときでも、私という丸ごとを使って1日をしっかり味わえますようにと願わずにいられない。

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