IMG_2837__編集済み_

偏愛ルーパー

関根勤さんのプリンにまつわるエピソードが好きだ。プリンにはまり、いつもいつも食べていたら、ある時急にプリンを受け付けなくなった。その時に「もう一生分のプリンを食べた」と思ったのだという。

わかるなぁ、と心底共感した。そして今もかわらずそう思っている。

ひとつのものにはまったら、当面そればかり食べる。3食それでよいと思うし、嗜好品の場合毎日それさえ手元にあればご機嫌に生きられる。普段は好き嫌いもなく、バランスよく食事を摂るほうだけれど、熱病のようなその衝動にとりつかれたら最後、どれだけ食べてもまた欲し、焦がれ、お腹をこわしたり太ったりしながらも、波がひいていくのを待つほかない。もう一生分食べた、と言い切れるほどはまったことはないけれど、思い出せるだけでいえば、一昨年はアイスコーヒー、昨年は冷やし中華、今年はパイナップルを散々摂取した。食べ物にも夏への愛があらわれるものだと、いま羅列しながら思った。

食べ物だけに限らない。本であれば、1冊の本ばかり持ち歩き、暇さえあれば適当にページを開きそこから読み返す。休日であればまるごと読み返すし、もちろん毎日寝る前に読まないと気が済まない。音楽であれば、その1曲をエンドレスで延々聞き続けるので、iTunesで再生回数を見ると気持ちの悪いことになっている。相手が人であった場合、これはもう本当に気をつけないと関係はたやすく破たんする。

たいていのことはそれなりである私にとって、愛情がどのきっかけで炸裂するかわからない。けれど、その衝動に出会えるのは楽しみでもある。

今月、さんま祭りで大量に手に入れたすだち。途方に暮れるくらいあったはずなのに、生ポン酢をつくったら飽きる前になくなってしまった。少し足りないな、くらいが本当はちょうどいいのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?