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【女優とゲイと私たち】6.出会い、はじまり

指定された待ち合わせ場所は、新宿の地下街・京王モールにある喫茶店だった。私も何度か行ったことがある渋めのレトロ喫茶で、濃厚なアイリッシュコーヒーが美味しくて大好きだ。お酒はほとんど飲めないので、多少酔っぱらってしまうのだけど、それもいい。アルバイト先と雰囲気が少し似ていて暗めで居心地よく、ゆったり時間が流れているお店。

白いワンピース着てるから見つけてね、とメールをもらっていたので、すぐにわかった。店の奥のテーブル席で、しのぶさんは隣に座る若い男の人となにか話していた。彼氏だろうか。視線を送りながらおずおず近づくと、しのぶさんはこちらに気づき、ぱっと笑顔になった。舞台で見たときと違って化粧っ気がまるでなく、ぴかぴかのすっぴんにみえた。子供みたいな全力の笑顔でこちらに手を振っている。初対面なんかではなく、とっくの昔から知っている仲良しの友達みたいに。

「いつから住む?」
と、明るくしのぶさんが聞いてきた。はじめまして、の挨拶をして席に座り、アイスコーヒーを注文し終えたばかりのところで。
「…ええと、出来れば、出来るだけ早く。急なんですけど」
「いいよ、わかった。明日にでも荷物送るなり持ってくるなりしなよ。いいよね?」
と、しのぶさんは隣に座る男の人に確認し、彼も笑顔でうなずいた。
話の展開が早すぎる。もちろんありがたい話ではあるけど、もっと何か、私に聞いてからの方がいいんじゃないか?勤め先とか、なんで家を出ることになったのかとか、どうして賃貸に住まないんだとか。一応、見ず知らずの人間だし、と逆に心配になった。
私の注文したアイスコーヒーが運ばれてきたので、とりあえず手持ちのグラスで3人で小さく乾杯した。

「元々はね、しのぶと僕がルームシェアしてた部屋なんだ」
アオヤギと名乗った彼がにっこりと笑い、アイスオーレのグラスを置いて話し始めた。日焼けした肌に、ブランドの刺繍が小さく入った白いシンプルなポロシャツが似合っている。
「部屋の名義は僕なんだ。最初は別の人と住んでたんだけど、いろいろあって。しのぶが引越し先探してるっていうから、家来なよって言って、しばらくは2人で住んでたんだ。彼氏じゃないよ、僕ゲイだし」
アオヤギはそう言って、またにっこりと笑った。

新宿2丁目に近いという場所柄、うちのお店にはゲイのお客さんたちが多い。だけど、こんな風に面と向かって「ゲイです」と言われたことはない。僕一人っ子だし、と言われたのと同じくらいの重みだなと感じ、偏見を持たない自分に気づいて少しほっとした。

「アオヤギは2丁目でお店のママやってて、私は私で舞台とかやってるから、お互い友達や知り合いがすごく多いのね。2人して賑やかなの大好きなもんだから、いつの間にかやたら人の出入りが多いところになっちゃってね」
あはは、と、しのぶさんは大きく口を開けて笑った。
「そうなの、駆け込み寺?っていうか」
「まさに!事情があって、お金がなくなった人とか、家がなくなった人とかが転がり込んできて、仮住まい的に住んで出ていくような場所なわけよ、いまは」
しのぶさんが、私の目を見ながら続けた。

「だから行くとこないなら、とりあえず家来なよ。ひとりでいるより誰かといた方が楽しいしさ。もちろん家賃はもらうけど、毎月住んでる人数で割るから、普通に1人暮らしするよりずっと安く済むし、お金がたまったらいつでも出ていけばいいし」

私は黙って聞いていた。何もまだ話していないのに、何もかもわかられているような気がした。情けないと恥じていたことまで、まぁいいじゃん、と許されているような。

「ちなみに、今あの部屋に住んでるのは、僕の知り合いが2人。ついこのあいだ1人出ていったから、なつみさんが入ってくれれば4人か。僕はお店忙しいし、彼氏の家にほとんどいるから、今はあまりそっちに行かないけど。かわりに家賃集めたり振り込んだりはしのぶがやってくれてるから、なにかあれば、いつでもしのぶに言って」
とアオヤギは言い、隣でしのぶさんはにこにこと笑っていた。左右対称の、きれいな笑顔だ。

捨てる神あれば拾う神あり。最悪な状況だと思っていたのに、思わぬところで人の親切にめぐりあった。白い服を着たぴかぴかの笑顔の2人がなんだかまぶしくて、お腹の底があたたかくなる。唐突に、ポジティブな感情が湧いてきた。きついことがあっても生きるのだ、予測がつかないから人生って面白いのかもしれないと。

お世話になります、と私は頭を下げた。

元の部屋に戻ったら夕方だった。片づけて、明日には出ていきたい。リサイクル業者に無理をいって不用品をあらかた引き取ってもらったので、高くはついたが家電はおろかテーブルも布団も、もう処分するものはなくなった。あとは洋服やかばん、身の回りのものだけ。かさばる冬服や細々したものはまとめて実家に送り返してあるので、旅行用のキャリーバッグひとつで引越し出来るだろう。電気ガス水道の契約もあと2日で切れるよう手続きをしてある。

変化が大きすぎるとこわいくらい冷静でいられる。きっとこの反動はいつかくるのだろうと思う。そのときはそのとき、思い切り泣けばいい。でも、泣けないくらいしんどいときには、考えずにただ目の前のことをさくさく進めることがコツだと学べてしまった数日だった。

がらんとした部屋からさらに、元彼と、元彼の荷物が消えていた。
部屋の隅に書き置きがあり、2日後に部屋を引き払うときにまた来ること、大家さんも立ち合いに来るのでそれまでには出て行ってほしいことが短く書かれていた。ぺらぺらの紙に書かれた、事務的な手紙。

私たちは、私たちを終わらせたかったのだ。楽しかったけど、面倒なことには蓋をするくせがあった2人。見栄張って、なにかあっても見て見ぬふりをして、楽しいほうばっかりに目を向けた。かっこわるいことに蓋をして、結果ものすごくつけが回った終わり方。
だれがなんと言おうが、彼のことがすごく好きだった。楽しかった。ほぼ彼とともにいた、私の20代。

ごろりと寝そべって、天井を見上げた。部屋の様子はかわっても、天井の木目だけはいつもと変わらない。希望もないし布団もない、終わるだけの部屋で、今日はひとりで眠る。

明日からまた、新しく面白いことをはじめるのだ。



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