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記憶に生きる私たち

元同僚の友達と一緒に通っていた、代々木近くにあるフレッシュネスバーガー。

当時あまりに通いすぎて、店長さんや店員さんには2人セットで覚えられていて、もはやただいまといいたくなる感じというか、ファーストフード店とは思えない馴染み感だった。
友達が毎回低糖質バンズを頼んでいたので、常連分としてキープしてくれていたんじゃないかとすら思う。

業務は1年半くらいだったけど、ほぼ毎日、職場近くにあったそのフレッシュネスに行ってはこっちがリフレッシュだわと思っていた。
仕事自体しんどいことが多かったので、同じ目線で理解してくれる元同僚の存在も、彼女と一緒にご飯を食べる時間があったことも、とても大きかった。

あのときの心身の健康は、フレッシュネスのおいしいメニューと、あそこで過ごす時間に支えられていたといっても過言ではない。

普段は優しい店長さんが、注文せずに居座る若者たちにびしっと引導を渡す姿に痺れたり。
きりっとした、とんでもなく美人のお姉さんがふいに笑顔で話しかけてくれてときめいたり。
お店の中でもいろんなことを目にしたけど、明るくてあったかい印象だけが残っている。

プロジェクト終了日に、そろって挨拶に行ったときは「次来たらなに頼んでもいいよ無期限ドリンク券」を、お姉さんが手製で発行してくれた。嬉しくてなかなか使えず、ずっと財布の中でお守りのように持っていた。


今日、元同僚と一緒に数年ぶりにお店に行ったら、同じお姉さんがまだ働いていた。

しかも向こうから声をかけてくれて、覚えてくれていたことに驚いていると、いつも楽しそうに話しているのが印象に残ってて、とお姉さん談。

大人になると、そこまで仲のいい友達ができることって少ないですからね。
すごく素敵で、とも。


たしかにいつも、どうかと思うくらいゲラゲラ笑っていてやかましかっただろうなと、申し訳なく思いつつ。

ただ、愚痴も毒も我慢せずに出し切るけど、最後は笑って流そう、と思う同士だったから、空気は重たくなかったはず。


そろって似たような服を着て、いつも互いになにか言い合っては笑っていて。

本人たちすら忘れていた姿が、だれかの良い記憶として残っていたことが嬉しい。


お姉さんの目を通した私たちが、日々を楽しく生きているように映っていたことで、なんだか報われたような気持ちになりました。

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