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4人の女とスケッチブック

こんな蒸し暑い日には、ふと思い出してしまう若き日の出来事。


44年前、16歳の夏

原付免許を取った私は、先輩(女性)から原チャリを借りていて、我が物のように乗り回してました。  その日も、当時住んでいた浦和から大宮まで遊びに行って・・・。

大宮駅の近くに、たまり場にしていた「アメリカン・バーガー」という店があり、マスターの乗るハーレーが16歳の私には憧れでしたねぇ。 (意味もなく跨がってポーズを決めたり) 笑

氷川神社の境内、大宮公園でスケボーしたり(ゴメンナサイ)、地元の洋服屋では一番イケてると思っていた(笑)ジーンズショップ「LEO」をのぞいたり・・・。


そして、西日が眩しい帰り道

少しだけ穏やかになった熱風を浴びて(当時はノーヘルOKでした)、原チャリでかっ飛んでいると、左側の駐車場からいきなりクルマが・・・。

うわっ!!  おい!!

急ブレーキ!!  クラクション!!

間に合わない!!

私の身体は宙を飛び、10メートルいや15メートルほど、道路の真ん中を転がっていった。


若さってコワイ

うつ伏せで止まった私は、まるでビーチフラッグのスタートのごとき猛ダッシュで、クルマまで駆け戻り「○カヤロー、どこ見てんだ!! クラクション聞こえねぇのか!!」

怒りと勢い余ったせいで、助手席側のドアに前蹴りを1発。  「ボゴッ」  あれっ、結構へこんじゃった。

ふと車内を見ると、そこには4、5歳くらいの女の子が・・・。  上目遣いでこちらを見ているが、明らかに怖がり怯えた眼差しである。  ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい・・・、ゴメン、ゴメン。


で、運転手が降りて来た

この子のお母さんであろう、30代中頃の若奥さんって感じのキレイな人、タイプだわ!! (←そこかい)

しきりに頭を下げるその人の手には、スケッチブックとペンが握られていたのです。

彼女は一気にペンを走らせた。

『私は ろうあ者です 耳が聞こえません』

『ごめんなさい ケガ大丈夫ですか?』

あぁ〜、そこで初めて、自分に目をやる。


忘れもしない

その日の服装は、買ったばかりの「ファーラー」のパンツに、「OP」のサーフシャツ。  どちらもチョット無理して買ったものだ。

なんとパンツの両ひざは破け、シャツの肩もボロボロ、ひじからは血が垂れていた。  でもまぁ、骨折は無さそうだ。

んっ、彼女は私の返事を待たずして、また何かを書き始める。

『おねがいします けいさつ呼ばないで下さい』

『免許無くなると こどもの送り迎えが 困ります』

そこで私の思考回路は、完全に停止してしまう。  女の子は、すでに泣いているようだった。


今ならば、

そんな理由付けや警察無届けなどあり得ないし、特別扱いこそが逆に障害者への差別だと理解できるが、なんせ16歳、初めての交通事故。

いくら裏通りとはいえ、そこは大宮の繁華街、次々と人が集まってくる。  客引きのおっさん、出勤途中のお姉様、仕事帰りのサラリーマン。

「なんだ、なんだ、事故か?」  中には、千円で話し付けてやるなんてヤカラも現れる。

目の前にはスケッチブックを持った若奥さん(しかもタイプ←✖️)、視界の端には泣いている女の子と凹んだドア(笑)、それに私も警察には目を付けられているクソガキだったし・・・。


もう、とにかく早く逃げ出したかった

そしてとうとう私は、禁断の言葉をスケッチブックに書いてしまう。

『示談? いくら?』

彼女がクルマの中からハンドバッグを持って来て財布を開く、一万円札が2枚と小銭が見えた。

連絡先を教え合うこともなく、視線すら合わせず、その華奢な指から差し出された2万円を、ポケットに押し込んだ。

原チャリは傷だらけだった。  エンジンがかかるか心配だったが、何とか大丈夫みたいだ。  私は振り返ることもなく、その場をあとにした。

バイクはボロボロ、服もボロボロ、身体もボロボロ・・・。  2万円ではどうにもならないことくらい、私にもわかっていた。

こちらが被害者なのに、あの少女の瞳が私の精神状態を狂わせたのだ。


家に帰ると

母親が私を見て、「まぁ〜、嫌だねぇ、喧嘩してきたの!?」  何故か恥ずかしくて、ホントのことが言えなかった。

「医者、行く?」  「いや、いい」  「じゃあ、寝な」  あっさりしたものである。

痛みに耐えながら、布団をかぶる。  ついさっきのことがフラッシュバックする。

なけなしの2万円を渡しちゃって、生活出来るのか!?

あの子が、お腹空かせたりしないか!?

クルマもかなりの傷のはずだ、ダンナさんに怒られたりしてないか!?

そもそも、保険や免許の点数はどうだったんだ!?

いやいや、2万円で済んで助かったって思ってるか!?

やがて私は泥のように眠りについた。


この件が私の中で後味悪く

残っている理由のひとつは・・・。

次の日、その2万円でパチンコに行き、全て負けてしまったのだ。 (最低男である)     カッコ悪ぅ〜

1週間ほどして、先輩(女性)から原チャリを取りに行くと連絡があった。  事故のコトは何も話していない、まずい・・・。

先輩は傷だらけの原チャリを見ても、何も言わなかった、何も聞かなかった。  別れ際に一言だけ「また、使う時があったら電話しな」って、カッコ良すぎだわ!! 先輩!!


あの震えていた女の子

今では、50歳手前くらいか。

あの時のコトを覚えているのだろうか。

すっかり、忘れていてくれるとありがたいけど。


純情不良少年の、ほろ苦い思い出。


**記事内容はすべて事実ですが、障害者の方々を揶揄したり擁護する意図は全くありませんので、あしからず**



ジョー山中で「ララバイ・オブ・ユー」

宇崎竜童、阿木燿子夫妻はテッパン。



では、では、また次回。 ありがとうございました!!