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やっぱり面白かった スターシップ・トゥルーパーズ

SF映画であり、青春映画、そして戦争プロパガンダ映画。勿論、戦争プロパガンダという側面に関しては、”皮肉として”という意味でありであり、映画全体が主に第二次大戦時の現実を下敷きとしたファシズム軍事国家の風刺となっている。オーウェルの『1984』と同じ構造だ。若者に主眼を置き、明るく、アッパーテンションに描いてるという違いはあるが。

ジャンル横断的な本作には各シーンに様々な含みが持たされている所が面白いと思う。今回は、映画を見返しながら各シーンから読み取れる”意味”を検討してみたいと思う。


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冒頭シーン
アメリカやナチスのプロパガンダ映画パロディー

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冒頭の教室シーン
基本的に、本作に登場する大人の多くは何かしら身体に傷を追っている。
バグとの戦争が続く世界である事を示すと同時に、通過儀礼を経て子供から大人になる事(傷を追って大人になる事)や、主に傷を追っているのは学校の教師や軍で主人公を導く立場にいる大人が多い事から主人公の行く末が暗示されている。

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教室でのシーン
暴力の正当性を教師が説明する事で観客に世界観を提示するとともに、座席関係や彼らのやり取りから※カールは出てこないが3人の関係性が示される。ディジーの視線の先にはジョニーがいるが、その先にはカルメンがいるのだ。ほぼ斜め一直線に3人の席は配置されている。ジョニーはカルメンを追って軍に入隊し、そのジョニーを追ってディジーも入隊する事になるのだ。

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カールのシーン
先の3人(ディジー、ジョニー、カルメン)に加え、カールが登場するシーン。
彼はジョニーの友人でありながら、ジョニーの低いスコアを見下しており、公衆の場でそれを公開し辱める。能力の優劣と人間的価値を直結させるカールのファシスト的側面が登場の1シーン目で描かれている。その直後カールはディジー、ジョニー、カルメンの関係性を確認した上で、カルメンにキスをしようとする。


学校 バグの解剖シーン
このシーンで、バグのいる日常が垣間見える。
ここでも、先生は身体的な欠陥を抱えている。

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カールとジョニーのシーン
カールがジョニーの超能力測定?を行っている。この世界には超能力がハッキリとあり、ジョニーにはその才能がないがカールにはある。という映画設定を説明するシーンであり、かつカールの、人を一段高い所から見て、その能力を見積るような性格が暗示されている。

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未来アメフトのシーン
ザンダーが登場。ザンダー、ジョニー、カルメンの関係が示される。
ゲーム終了後カルメンがジョニーと抱き合う際に一瞬エースに視線をやるのが印象的。カルメンは能力もあり、美人で性格も良い。そのために常に多くの選択肢を有し、その選択に迫られている所がある。

ジョニー一家のシーン
この国はファシズム体制であり、金持ちでもその考えに賛同しなければ市民には慣れない。しかし、かといって迫害される事は無い。因みにこの世界では差別も無く、犯罪率も低いという設定である。先進的な世界でもあるのだ。

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プロムシーン
カールはさっきカルメンにキスを迫っていながら、ここではジェニーに寄って行く。本当に油断ならない人物である。現実でもこういう男は多い。気を付けたいものだ。
ジョニー、ザンダー、カルメン3人の関係が示された後のシーンが秀逸。
ジョニーとカルメンが踊りながらキスするのを、ジェニーと踊っているカールが手でせき止める。一方ジェニーはジョニーを見つめている。4人の関係が良く分かるワンシーン。
ここでジョニーは軍への入隊をカルメンに告げ、家に呼ばれる。カルメンへの性的興味/興奮から彼は軍への入隊を決意している。
プロムシーンでは歌われている曲の歌詞で23世紀と歌われており、ここで映画の時代設定が分かる。また、このプロムシーンは最後上部にズームアウトしていく場面で、バックではAll's well(きっと上手くいく)と歌われる。実際はそこで映っている大部分が死んでしまうのだが。。
また、このズームアウト後、鷲のシンボルがフェードインしてシーンが切り替わるのだが、鷲は”運命”や”死”の象徴でもある事を考えると皮肉が効きすぎている。

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軍の入隊手続きシーン
カールはここでもジョニーとカルメンの間に割って入ってくる。
ここでも身体的な傷を持つ大人。
そして3人の社会的階級が示される場面でもある。


政府のプロパガンダ映像
①銃は良いもので子供も持つべき! 暴力が良い世界を作るという考えが示される。
②裁判は簡略化し、短くなっていく。
③敵の残略性をアピールする映像。
④仲間の死を感傷的に提示し、戦争の発端はバグ側による攻撃だと説明する。※実際はモルモン教徒がバグのテリトリーに入植を試みたのが戦争の発端である。

軍での一連のシーン
軍での日常がブラックジョークとして過激に描かれている。
共感に手を折られたり、ナイフをぶっ刺されたり、、。
今作のように、何も知らないピュアな若者が軍に入り、苦労した末に国に忠誠を捧げる生き方を学んでいく。というのは昔からプロパガンダ映画でよく使われるプロットだった。

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軍でのシャワーシーン
この軍では男女の区別なく、平等に扱われる。現実では、プライベートでは出来るだけ男女を離すようにするのが今の方針らしい(少し情報が古いかも知れませんが)。この事で同性愛の問題も発生している。依然として性の平等化が進まない軍隊への風刺にもなっている。小噺だが、このシーンは最初俳優達が恥ずかしがっていた。ディナメイヤー(ディジー役の女優)が提案し、監督と撮影監督が全裸になった所、皆大笑いして、そこから皆脱ぎ、撮影がスムーズに進んだらしい。

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カルメンの戦艦操縦シーン
艦長は女性で、カルメンもここで能力を認められ、出世していく。ここでの教育係ザンダーよりも優秀という事がわかる。男女平等な社会を示されると同時に、戦時下では出世するのが異常に早くなる現実も写し取られている。

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戦闘訓練シーン
特攻大作戦へのオマージュ
ジョニーは隊長の資質を示し、昇進する。
しかし、直後、カルメンにビデオメッセージで振られてしまう。(仕事を優先したいと言っており、明確に別れを告げているわけではないが)
現実でも恋人の為に(格好つけるといった意味含め)軍隊入りした男が手紙で捨てられる)という事は多いらしい。
カルメンは、ジョニーとザンダー両方を愛したり、自分の仕事の為にジョニーを振った事で、上映当時老若男女問わず不人気だった。一方、フットボールも強く銃も扱える男勝りでジョニーに一途なジェニーは人気があった。※これは勿論アメリカに限った話ではないが。
清教徒的な価値観や、女性解放運動が既に下火になっている事がわかる。そしてその価値観は今日でも続いている部分は多分にあるだろう。
カルメンのために入隊したジョニーにとって最早軍にいる意味はなく、複雑な心境が続く中、訓練中にミスをし、仲間を死なせてしまう。

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ジョニーが両親の死を知るシーン
ジョニーは自分の目的が無くなり去ろうとしている所、両親の死を知る。
ここで、バグが明確に彼の敵として認定され、敵を殺すという目的が生まれたために軍へ戻る事にする。ナチスにも協力したドイツの思想家カール・シュミットは「国家は敵を定義することで自己を定義する」と言ったが、それが正に舞台となる国でも起きているし、ジョニー個人にも起きている。彼はここからファシズムに陥っていく。

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作戦の失敗後、白人男性から黒人女性へ長官が交代する。差別撤廃を表したシーン。皮肉の効いた場面。

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テレビ討論会の場面。ここでも現実が風姿されている。討論会では何ら重要な情報が出てこず、感情的な議論?が繰り広げられる。

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爆撃、そして突撃。 それが今日まで変わらないアメリカの基本戦略。
風刺的なシーン。

バグからの退却シーン
『ガンガディン』、『ボージェスト』、『遥かなる戦場』オマージュ

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隊長が死ぬ。直後にでかいバグが出てくる。
フロイト的な父親殺しのシーンとして読み解く事も出来るかも知れない。

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カールの再登場
ナチスを模した軍服に身を包み完全なファシストとなっている。カールはドクトルジバゴのストレルニコフがインスパイア元になっている。元々どうでもいい戦争だがそれに勝つことのみが目的化し、全てを数字で考え、効率的である事のみに取りつかれている。

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新人の入隊
入隊してくる新人が若返っているのも、現実の戦争を風姿もしているし、映画内ではディストピア感が増してきている事が分かる。

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物語の終わり
第二次大戦中のプロパガンダ映画によくあるように、死を美化し、「彼らは戦い続ける。そして勝ち続ける。君も参加しよう。」と呼びかける。ジョニーも仲間の大半を失いながら、命なんかくれてやれと叫ぶのだった。すっかり誰でも最初は疑問を持つだろうが、いづれ洗脳されてしまう危険さが描かれている。戦争は、個人の生死よりも種としての保存を優先するという危険な本能が誰にでもあるかも知れないという事を考えておくべきだろう。


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