記憶、電車

四年振り生まれた国を訪れて見知らぬ街へ行こうとしてる 

書き溜めたメモ帳が消えてしまったiPadの裏切りと斜めに降る日差しに悦んでいる(Freude)電車の中である。ひとりだ(Ohne Freunde)。

記憶について考える。

忘れたこと、それはかつて覚えていたことを覚えていて
覚えていたことを覚えているその記憶さえ消えてしまったら
忘れたことも忘れてしまえば
全ては無かったことになるのだろうか

泡沫の人の世であろう、なら
失われた人間たち
彼らは記憶の海流を漂って、暗闇へと落ちていくのだ
海底揺蕩う、そんなかつて波の亡霊たち

真に死ぬこととは忘れ去られることなのだと
冬の墓標はネガティブに訴えていた

どうしても耐えられなかった記憶があったとしたら
幸せなのは忘れてしまうことだろう
この上なく嬉しい記憶にとって
幸せなのはきっとそれが記憶にならないことだろう

ノートを開くと、みみずのうねりみたいな線で溢れていて
アニメの中、小説家が書いた原稿のようである

本当は何もかきたくないんじゃないだろうか

窓の方見やると雲が高い
記憶は雲の中に消えていくのだ
きっと彼らは天国に行くのだろう
安らぎと幸福の中へ(auf die Wolke Sieben)

少し開いた窓からぴゅうぴゅうと音が舞い込んでくる
聞こえてくるのは風の音なのだろうかそれは電車のたてる音だろうかそれとも私のたてる音なのだろうか
きっと心のゆれる音なのだろう

海沿いの街には何があるんだろうと思う
屋上から淡い青求める私、暖かい死体

家に子犬がやって来た日、全てが心細くて
茶色と黒に光る毛先を撫でていた
11月、老犬の毛先は銀色に輝いていて
2階に上がれない彼を抱きしめたくなった

子供のころは大人になれば優しくなれると思ってた

みんないつかは死んでいくのだと
すべては消えていくのだと
わかることでは幸福にはなれなかった
それを悲しく思うことが
美しいと俺は思う

全て雲に消えて仕舞えば
安らかではあるけれど
少し裏寂しい気もしてる


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