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走馬灯

私は今から20数年前に鬱病になり飛び降り自殺をして死のうとした時のお話です。

20数年前はプロボクサーで当時私は日本ランキング上位にいた頃だった。

その頃にボクシングの日本タイトルマッチが突然決まりました。

当時、ジムからの仕事斡旋で新聞配達の仕事をしながらボクシングをしていた縁で試合前に配達している大手新聞の都内版の記事に大きく載せていただけたり、テレビでの深夜放送もされる予定で、今まで以上に応援してくれる方々も格段に増えました。

自分自身が持ち上げられてお神輿の上に担ぎ上げられているような感覚でしたが・・・・・

初戦は引き分けで再試合になり、再戦では結果は10ラウンドをフルに戦い、残念ながら2対1の判定で敗れてしまった
試合で目尻をカットして3針程縫い、顔も腫れて試合後に自宅戻ってトイレに行ったら血尿も出ました 

身も心もボロボロに

更に試合後は押し寄せた波が引くように、たくさんいたはずの応援してくれていた皆が『サッー』と離れていってしまったような感覚に襲われ、見渡したら、周りには誰一人いない様な感覚におちいりました。

試合が終わり数日経った頃には心が、突然『ふっ』と吹かれたら消えて無くなってしまう燃え尽きた灰の様になり

鬱病だと自分自身で自覚したので、精神科に通院しようかと思って悩んでいましたが、たまたま話した職場の人に

『自分は今、鬱病みたいな感じなんですよ
だから精神科にでも通院しようかなと思っているんですよ』

何気なく、そんな話を職場の人に話したら
その職場の人から

『精神科に通院歴あると就職する時に影響が有るから辞めた方が良いですよ』

と言われてしまい精神科に行く事を辞める事にしました。

市販の鬱病薬も買いましたが、これに頼ってしまったら一生治らなくなるのではという恐怖心に苛まれて飲めずに日々苦しんでいました。

日々、この心の苦しみから解放されるには

どうすれば良いか?

どうしたらこの苦しみから解放されるのか?

考えていたある日、突然ある事に気付いてしまいました。

その時に私は初めて自殺をする人の気持ちが解りました。

それまでは何故、人は自殺してしまうのか?
自殺なんて考えられないし、なぜそんな事をしてしまうのだろう?

という考えでしたが、


人間、どん底に落ちて

絶望した時や

出口がまったく見えない薄暗い迷路に迷い

もがき苦しんでいると

この苦しみから解放されるには

『死ぬ事により、この心の苦しみから解放される』

『死ぬ事でしか、この苦しみから解放されない』

死ねば楽になれるんだということに気付いてしまう

だから最終的に自殺という選択肢を選んでしまうのだなと

その時に初めて私は自殺してしまう人の気持ち、自殺した祖母の気持ちも理解出来ました

それからは、死に向かっての選択をしていきました

死に方や、死ぬ為の方法、どの場所でどうやって死ぬか?

考えた結果は  

死ぬなら
首吊りか 、飛び降りのどちらか?
だなと思い

飛び降りる事を選択しました

次にどこから飛び降りるか?

ちょうど仕事の新聞配達先の10階建てと20階建てのマンションがあったのでどちらにしようか?

共にオートロックだったが裏口から入って10階まで配達していた10階建てマンションの10階から飛び降りようと

段取り全てが決まって
あとはいつ決行するか?
だけになりました。


その数日後、朝刊配達中にその10階建てのマンションに到達して配達に向かった
1階の裏口に自転車を停めて脇に配達件数分の新聞を抱えて、エレベーターに乗りこみ、10階のボタンを押した
エレベーターが上昇して行き、4階か5階を通過した頃に

『今日、飛び降りよう』

頭の中で決心した

10階に到達後にエレベーターの外に出た

腕時計を見たら朝5時31分、10階の最上階から眺めた外の景色は

薄暗い空に朝焼けの光が差し込み

空はどんよりした薄暗い青色に

雲には朝陽が反射したオレンジ色が映えていた

これから昇り日を照らす太陽とは対照的な

自ら命を絶つ為に暗闇の底へと飛び降りようと

配達する為に脇に抱えていた新聞をエレベーター前の床に置いた
走って10階の通路を走り、勢いをつけて外壁の手すりに手を懸けて飛び降りようと
走り出したら

突然、実家の両親の顔が頭の中に浮かびだして一瞬走り出した脚が止まりかけたが

『ゴメン、俺はもう駄目だ』

と頭の中で思い、再び走り出しました

そしたら今度は同棲中の彼女の顔が、また頭の中に突然浮かび上がった

そしたら私は考えてしまった

私が死んだら、彼女はどうなってしまうのか?

そう考えた時に、私は飛び越えようとした外壁の前で立ち止まれました・・・・・・・

死の壁を飛び越えなかった

マンションの10階から飛び降りずに済みました

この出来事の後からは鬱病も徐々に改善して回復していきました

あの時に見た走馬灯は、最終的に自分の脳内で

『ヤバい、飛び降りて死のうとしている』
『どうやったら自殺を止める事が出来るか?』
『どうする?』
『そうだ、実家の両親の顔を思い浮かばせよう』
『あっ、駄目だ、脚が止まらない』
『急いで次は、何かを』
『そうだ、彼女の顔を思い浮かばせよう』
『良かった、脚が止まった』

という事が起きたのだと思います

私はこの走馬灯を見ていなかったら確実に飛び降りて24歳で祖母と同様に自殺により人生の幕を降ろしていたはずです

最終的に自分を守れるのは、自分自身しかいないのだと

皆さん自分を嫌いにならずに自分をいたわり自分に優しく自分を大切にしましょう

人生は一度きりです


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