ジョージ・レイコフ/マーク・ターナー『詩と認知』より

「こうしたメカニズムは、教訓とはいかなるものかを考えてみると明らかになる。教訓の本質とは、意識して自制心を働かせるよう導くことである。意識して自制心を働かせるというのは、上位に属する理性的な人間の行動である。教訓の内容は諺の隠喩的な理解にもとづいているが、それははじめ描写という形で与えられる。描写の内容は、その諺で隠喩的に描かれている行動を勧める、あるいは禁じるような教訓として可能なかぎり解釈される。隠喩的な描写が自制のはたらいた行動を示しているならば、その諺は描写の通りにふるまうことを諭している。逆に諺の描写が自制的な行動の反対ならば、諺の教訓はそれが描写するようなふるまいを取るべきではないということになる。要するに、諺の与える教訓とは、それが隠喩を通じて描く行動に照らしてみて、その通りにするかその反対にするか、理性的な自制心を働かせる方向を選べということである。」

ジョージ・レイコフ/マーク・ターナー『詩と認知』大堀壽夫訳、紀伊國屋書店、1994年、195ページ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?