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レモン画翠

仕事納めの帰路につく人々で秋葉原は混んでいた。観光客で溢れかえる昼間の活気とはまた違う、少し沈んだ空気を纏う雑踏の中を、私は流れとは逆方向に一人歩いていた。
かくいう私も、昼間は活気を生み出す観光客として秋葉原の街に溶け込んでいたのだが、一緒に楽しんでいた仲間達とは今しがた駅前で別れてきてしまった。
電気街の雑踏を抜け神田に差し掛かると、私は一人で帰路にもつかず歩いていることが急に寂しくなってきた。歩き始めるまではこんなに寂しくなるとは思っていなかった。
御茶ノ水の駅前にある画材店に行くのに、秋葉原駅からわざわざ総武線を使うまでもない。そう思って歩き始めたときから、既に小さな後悔の芽は出始めていた。仲間と一緒に改札の中まで入るべきだったか。いや、たかが徒歩10分の道のりに120円かけるのはもったいない。我ながら学生らしい財布の紐の固さだ。
神田のビル風が夜風へ成り上がり、私の頬をないだ。これは一刻も早く屋内に入らないと霜焼けになるな、と私は冬の夜風を頬の痛みで感じながら、総武線の高架下から足早に御茶ノ水駅前を目指した。
秋葉原から御茶ノ水までの高架下には、トンネル状の屋根がかかる居酒屋が数件立ち並んでいた。居酒屋といっても、東京らしいオシャレなもので、毎日書き換えているのだろう店頭のボードには、イタリアワインやら塩レモンやら、小洒落た単語が並んでいる。無理矢理2車線を確保したような細い道路を挟んで居酒屋と顏を合わせている高層ビルもまた、全面ガラス張りで足元に間接照明のついた気取ったデザインだった。
その道を、御茶ノ水駅から帰ろうとしているサラリーマン達の雑踏へ溶け込むよう、足早に歩いていくと、5分としないうちにJR御茶ノ水駅という看板が交差点の先に見えた。
早く目的の画材屋で暖を取りたいと息巻いていた割に、私は拍子抜けをした。もう少しこの年末独特の東京の夜を堪能したかったのかもしれない。
兎にも角にも、着いてしまったのだから、寄り道しようという気にもならず、私は自分の歩いてきた道に物足りないなあと文句を言いつつ、画材屋に足を踏み入れた。

※こちらは数年前の年末に書かれたものです

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