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死ぬ準備をしている

死ぬ準備をしています

といっても、死のう!と思っているわけじゃなくて、病気で余命数ヶ月というわけでもなくて。

明日死ぬと思って生きろ、とか、今日と同じ明日があるとは限らない、とか色々そういうのを聞いたり目にしたりしてきたけど、ずっといまいちわかならくて。だって、今日で人生が終わる!と思ってお金を使い切ったりしたら、終わらなかった明日はどうなるの?という感じで。そうやってなんだかんだ毎日続いていて30歳まで生きてきているし。

コロナのことがあって、余計その辺がもやもやしていた。

自分の大切な人が、もしコロナにかかって、もし入院できなくて、こじれちゃって、死んでしまったら?だからその前に会っておきたい。だけどもし自分からうつって発症してしまったら?自分がコロナで死ぬ可能性もゼロではない。

なんて、コロナがなくても、いつ何が原因で死ぬかわからないのに。コロナがどーん!とあるせいで、いつだってすぐそばに死があるのに、今までそれを無視してきたくせに急に死を利用して自由を制限されてる感じがしてむかつく。

そのくせ死にたいと思っても簡単には死ねない。

なんてことをむかむか、もんもんと考えていた時にふと

そうだ、私たちは死に向かって生きているんだったと思い出した。

何もしなかったら死んでいくのだ。「生きる」ということはすでに無意識になってしまっているけれど、食事も睡眠も呼吸も、しなかったら死んでしまうから、「生きる」ためにしている。

それで、死ぬ準備をしようと思った。

この時にどういう思考の展開があったのか残念ながら忘れてしまったんだけど、「いつ死んでも後悔がないように毎日一生懸命生きる」んじゃなくて「来る死に向かって準備をしていこう」と思った。

そして、私にとっての死ぬ準備は、自分の中身を外に置くことだった。

自分が今まで集めてきた体に関する知識や考え方、ストレスとの向き合い方、生き方、在り方とか全部を解放(というか放流)していこうと思った。私が自分の中にそれをしまったまま死ぬのはあまりにもったいない気がしたから。

自分の知識や考え方が100%正解だとは思っていない。これからも変わっていくと思うし。だけど、もしかしたら誰かの何かのヒントにいつかなるかもしれない。そう思えるくらい今まで色んな人に色んな場面で支えられてきた。

私は自分の中身を少しでも多く解放してから死ぬよ。

ということで、そう思えたから、今までやりたくないと思っていた(恥ずかしかったり、大変そうだなって思っていたり色々)YouTubeへの投稿を始めたり、カウンセリングの内容を公開したり、体の話を色んな人とするポッドキャストを始めたりしている。

(↑これは本当にみんなやるべき。IGにも載せてます。)


今思えば2月から書き始めた日記も死ぬ準備の序章だったのかもしれない。SNSへの投稿は一旦辞めてしまったけど、書き続けている。

これを読んでいる人に「死ぬ準備をするつもりで生きよう!」と言いたいわけではない。

わたしが最近いろいろ新しく始めたことが「コロナで対面の整体がやりにくくなったからお金を稼ぐためにやっている」だけではない、ということを伝えたくてこれを書いています。(お金がないと生活できないから全て無償ではやっていないけど)

コロナのおかげで気付けたことではあるけど、コロナが流行りだす前からやったほうがいいんだろうな〜って考えていたことをやる肚が決まったのが今だった、という感じ。

「最近頑張ってるね!」というメッセージを時々いただくので、頑張ってる理由はこれです〜と知ってほしい気持ちもある。読んだり、やったりして、自分の周りの人にも勧めてくれたらめっちゃうれしいです。ありがとう!


まあだから、わたしがネットの海に流すことはすべて遺言だと思って、やれそうなことはやって、元気に楽しく生きてください。





最後までありがとうございました。