走れるようになったと思ったら夢だった

というような朝を迎えることが月に2回くらいあるが、坐骨神経痛の症状がほぼ出なくなり最寄りのコンビニにもあまりストレスを感じず徒歩(往復1.5キロくらい)で行けるようにはなってきた。足の筋力や太さも地道なチューブトレーニングなどの成果が出てきてかなり通常時の状態まで近づいてきている。自分の部屋の中を移動するにも苦痛及び激痛を感じていた昨年夏ごろを思えばなかなか感慨深いものがあるが、さすがに時間がかかりすぎという面も否定はできない。流行り病やその他の大病なども現実的・年齢的に避けられない問題なので足腰だけに気を配っていれば冬が越せると思ったら大間違いだ、と自分に問いながら生活中。

スムーズに歩けるようになってはいるものの人通りの多い商店街やアーケード街などを歩くことにはまだまだ怖さがある。歩きスマホや会話に夢中な人たちと何度かぶつかったり靴を蹴られたりしたこともあったので街中では実際の症状よりも3割増しくらい足腰の状態が悪い人という設定の演技をしてゆっくり慎重に歩いていることが多い。「死ぬほど普通のふりをしなければ」という名フレーズの逆パターンの思考を取り入れて生活している。また近所では高級マンションや病院の建設、耐震工事、道路工事などの影響で狭い道をBIGなdumpやyumboや無灯火UberEaterが走り回っているので、まだまだ咄嗟に素早い動きができない自分にとっては気が休まらない環境が取り巻いている。散歩しながらお気に入りの音楽(The AlarmやThe Churchなど)を聴くことが好きなのだがそれすらも気軽に実行に移せないのがなかなかもどかしくもある。

外出するたびに自分と同じように足を引きずりながら歩いている足腰になんらかの症状を抱えている人たちがこの街にはたくさんいるのだということをこの1年半くらいの間に何度も思い知った。どおりで整形外科や整体や整骨院や鍼灸院が街の至る所に多数存在するわけだ…と気付いたわけだが仙台の街の至る所にレコード屋があった頃を懐かしくも感傷的に思い出したりもする。そんな仙台でたまに開催されているレコード市や古本市にあまりストレスや痛みを抱えず出向くことが可能になったことは大きな進歩だが、下段の棚や床に置いてあるダンボールの本やレコードはチェックしたくてたまらないが腰への負担を考慮してスルーすることが多い。元バンドメンバーの古書店員に下段の棚にある本を全部上段にあげろなどと無理難題なクレームを入れたりして順調に老害への道を歩んでいる今日この頃。

今年の初夏頃までは誇張なしにギターなど楽器に触る時間が週に10分あるかないかという状態だったので作曲などはほとんど出来ていなかったが、最近はブランクを取り戻すかのようにギターに触る時間も増えてきた。楽器に触れていなかった時期に歌詞の元となるフレーズやテーマなどを7曲分くらいは書き貯めていたのでそれらに合うメロディーやコードを考えたりしてどうにか曲として一つずつ形にしていきたいと考えている。5年以内にフルアルバムを作りたいという漠然とした目標はあるが15曲くらいストックができたら録音のことを考えたい。

10月にリリースした編集盤「Little Hamada Jewel」の制作・編集期間は私に創作の面白さや記録の大切さを改めて思わせてくれるよい時間であった。雑な内容や売り上げについては思うところはあるが過去の自分が作った音源を聴く作業は恥ずかしくもあり楽しくもあり感心することもあった。来年早々にやろうと思っている計画もあるのだが、それも体調と相談しながら無理せず実現出来たらよいと思っている師走なのであった。


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