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無敵の論破術②


哲学者苫野一徳氏は、帰謬論もどきを、徹底的に、解体できる方法があると述べている。

実は哲学の歴史は、ある意味ではこの帰謬法との戦いの歴史だったともいえる。哲学史には、要所要所で強力な帰謬論者たちが現われているが、次の時代のすぐれた哲学者によって、その論理を封じてきた、という。

その最初の道を切り開いた人として、17世紀フランスの哲学者、ルネ・デカルトをあげていたのは、意外だった。彼の有名な言葉に、「我思う、ゆえに我あり」というのがあるが、これが帰謬法を封じるためだというのである。

デカルトは、次のようなことを言っている。
「帰謬論者たちが言うように、たしかにあらゆる命題は否定可能だ。疑い反駁することができる。だが、どれだけ疑い否定しょうと思っても、最後の最後までどうしても疑えないものがあるじゃないか。それは、一切を疑っている、この”わたし”自身である。世界を疑っているのが”わたし”である以上、この疑っている”わたし”自身の存在は、どうがんばっても疑うことなどできないじゃないか」

「たしかなものなど何もない」という、帰謬法を駆使する人たちがはびこっていたこの時代、デカルトは、この言葉でもって、彼らの論法をひっくり返したのである。

なるほど、こうした文脈で「我思う、ゆえに我あり」という言葉が使われたのであれば、納得がいく。

デカルトは、この”わたし”も疑える可能性があると批判されることを想定済みだったので、”わたし”を身体と精神とに分ける「心身二元論」を主張した。だが、これに納得できる人はそう多くはなかった。

それから300年、デカルトの哲学を批判的に継承し、この問題にケリをつけたのがフッサールである。フッサールは、こう言う。

「どんな帰謬論者や懐疑論者といえども、今われわれに、何かがたしかに”見えてしまっている”ということを、われわれには、どれだけ疑っても疑えないものがある」

フッサールは、デカルトが言うような、実体を持った”わたし”ではなく、世界がこのように「見えてしまっている」「感じられてしまっている」という”意識作用”のことを疑いえないだろうと言っている。

帰謬論者は、「このカップは存在しないかもしれない」と言うことができたとしても、「自分にはこのカップが見えていない」と強弁することはできないのである。もしもこのことさえも反駁しようとする人がいたとしたら、そんな人たちに、われわれはもう語るべき言葉を持ちえない。

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