フッサールが自然科学に対して主張していたこと
元々、科学的な知は、その知を理解するための意味の基盤としての生活世界の上に成り立っているものである。しかし、そのことを、すっかり忘却して、世界を数学や物理によって数式化することによって得られた世界像が根源的なものだとする逆転現象が生じたことを、フッサールは科学の危機だと警告した。
古代ギリシャの哲学者たちは、「自然哲学者」と呼ばれている。自然はいったいどういうメカニズムで動いているのか、その原理を観察を通した思考によって明らかにしようとしていた。
望遠鏡、顕微鏡、加速器などの精密な観察器械や実験装置もない時代なので、もっぱら考えることで世界を解明しようとしていたわけです。
今の科学者から見れば、ただの子どもだましみたいなものかも知れないが、当時としては、立派な科学者であり、これが科学の原点であり、つまり、生活世界から出発していたことが明らかなのです。
その後、科学は数値化、数学化、数式化が複雑になりすぎて、いわゆる専門家にしか理解できない世界に潜入してしまった。だから、生活世界からかけ離れすぎたがゆえに、元々の出自が見えなくなった、ということでしょう。
フッサールの主張のポイントは下記です。
科学である医学は、医学機器などで検査した数量的データに基づいて「疾患」の治療を施すことはできる。
一方、患者が疾患によって生じる「能力の低下、喪失、機能不全をめぐる人間的経験」としての「病」については、医学機器では測定不可能である。「病」は「疾患」とは違い、うまく「対処」して乗り切っていくしかない。「病」については、看護師、介護士、臨床心理士などが対処することになる。
つまり、医学では「病」の対処すらできないのであり、これを、フッサール的な言い方では医学の危機ということになるのでしょう。
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