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親を尊敬出来ない親不孝娘

浅倉ひかるです★こんばんは!

蛙の子は蛙”この言葉がこの世に存在していることが不愉快。そう思ってる人は、きっと一人くらいはいるんじゃないかな?って言うか、いてほしいと思ってる。

家族のことを書くこと自体、なんだか精神衛生上良くない気がしているので家族関連なダークネタは今日で最初で最後にしようと思いながら綴ります。

まず私の父親は今で二人目、実父は大阪か兵庫のどちらかにいると思うけど消息は不明。もう16年くらいまともに会ってない。ちなみに離婚の原因は父親がジャラジャラ(パチンコ)で借金を作ったって理由。

母親は、離婚後パートを何個も掛け持ちして私と七個下の弟一人で育ててくれた。とてもすごい人!と尊敬している母親だと言いたいんだけど。

私は母親も父親も“尊敬している”と言う風に思ったことが一度もない。別に何かをされたわけではないんだよ。虐待とかもされてないし、母子家庭のわりには明るい家だった。けど、小学生中学年の頃から母親と一緒に居ても何だかとても疲れるようになったの。たまに他人に見えてしまってね。

大好きな母親だけど、母親は私と違ってとても真面目な人で。心配症で。間違ったことは一切しない。そんな嘘もつけない母親に育てられたので、私もそれに答えてあげたかった。

子供は誰だってそうだろうけど、親からは怒られるよりは褒められたいでしょ?だから、私は10年続けた水泳である程度の結果も残した。陸上部に所属してからも、県内大会で上位に入った。自慢じゃないけど、母親に褒められたいから当時は頑張れた。

けどね、実際そこまで褒められなくてね。もう期待に応えることが嫌で、しんどくて、途中で真面目に努力することをやめちゃったの。

その後は、このパターンでありがちな“グレる”方向に走った。たくさんの“真面目”を押し付けられた結果が、最終的には“この子は何を言っても言うことをきかない”って諦められてしまって。そこからは、案外楽だったけど。

今も普通に仲が良くて、今のお父さんを含めて4人で一緒に旅行へ行ったりもするし。お酒も一緒に吞む。

けど、なんか私を育てた記憶はあまりないようだ。弟の子育てをしていた頃の記憶は頭に刻まれてるみたいで、もしかしたら私を育てていた頃母親が自分のことで精一杯だったのかもしれない。別に覚えてなくても良いんだ。

あっ、話の原点に戻さないと。そう昔は母親が偉大な存在だって思い込んでいたわけ。けど心のどこかで“本当にそう?”って疑ってる自分がいた。

“私、この人のこと心から尊敬したことが一度もないかも”って。

その根底には、いくつかの理由があるの。実体験を紹介しながら、掘り下げていくね。

1.自分の価値観を子供に押し付ける

→「公務員になれば将来安定するから、そういう仕事につきなさいね」

世間で言うところの安定した仕事に就かないと、生きていけないと思い込んでいる。

2.自分の知らない世界に行かせないようにする

→「東京で暮らすなんてあんたには無理よ」

自分の住んでる近くにいさせたがる。

3.子供に夢を見させてくれない

→当時の私は歌手になりたかったんだけど、それを「あんたは努力しても無理よ」と何度も言われた。

4.良いところよりも悪いところを見つける

→「今日の大会、入賞したけど。ギリギリだったじゃないの?」と、純粋に褒めることをせずに悪いところを指摘してくる。

5.子供を信じていない

→私が21歳の時に当て逃げをされたんだけど…それに対して母親の第一声は「あんたが車にぶつかっていったんじゃないの?」と逆に責められた。

結果、事故の過失割合は相手が10で私が0だった。当然だけどね。

6.子供の味方をしてくれない

→学生時代にイジメにあった時、母親に相談したら「あんたの思い込みでしょ?」と、それだけ。その後、学校の担任が良い人で担任のおかげで解決した。

7.基本的に行動力がない

何かしら行動を起こすまでに時間がかかるし、人を頼ることしかしない。

せめてね、自分の子供が言ってることくらいは信じなさいよって思った。一番の味方は、母親じゃなくて。母親の妹だった。

母親の妹は母親と真逆で、正義感が強くて。チャレンジ精神も旺盛。だからか私が何かに向かって走っているときも全力で応援をしてくれるし。

それを知った上で「ひかるは今こう考えているみたいだけど、こういう考え方も出来るよね」と別の考え方をしっかり提案してくれる。

私は運が良くて、母親の妹を始め。水商売のお姉さんや、ある種で極めて生きている人と出会うことが多かったので。必然的に母親への尊敬は一切なくなった。

けど母親に対して“こういう人になりたくない”って思うのはやめた。

だってね“こうなりたくない”って思えば思う程に、常に母親が浮かんでしまって。自分もそうなってしまいそうだから。

その代わりに“こんな人になりたい!”って思える人を頭に浮かべるようにしたの。

そしたら、自然と母親は“血を分けてくれた他人”と切り離して考えられるようになったんだよね。だけど家族は家族だから、大事なんだよ。

そしたら、“母親”って名を持つ一人の人間って思えるようになった。この人も自分と同じだって思えば、自然と母親が言ってることも1つの意見として耳を傾けられるようになったんだ。

そこからはね、母親を客観的に見た時の良い所もわかるようになった。

何より生んでくれたことが嬉しいんだ。だって、たくさんの人と出会えた。色んな物を好きになれた。美味しい食べ物が食べられた。たらふくお酒が吞めるんだもの。

それにこれから、もっと楽しいことがあるんだもん!わくわくするわい!

考え方を変えることは難しい…けど、同じ考えに囚われて生きていくと今後生きることが難しくなる。

何が言いたいかと言うと、自分の意思じゃないけど、とりあえず親の言う通りに生きようと考えている人はちょっと待って!!

親の言う通りに生きる人生ほど、つまんないものはないかもよ!!ってことです。

今日のまとめ

★“親”を必ずしも尊敬する必要ない

★親の言う通りに生きる必要も無い

★親を尊敬できないなら、誰でも良いから尊敬できる人を心で浮かべる

★親を尊敬出来ない人は、まず好きなことをやる!そうすれば自然と、その世界の上の人が自分にとっての“尊敬できる人”になる

★親が尊敬出来ないからと言って“こんな人になりたくない!”と頭に浮かべるのはやめよう!

★親を尊敬できない人は、親以上にもっと尊敬出来る人物に出会えるのです!

★蛙の子が蛙になるかどうは自分次第

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