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バスケ選手を目指した理由、結果

ここまでセカンドキャリアのことを多く書いてきましたが、
・いつ、なぜプロを目指したの
・なぜプロ選手になれたのか
・実際なってどう感じたのか
は書いてなかったから正直に書きます!
自分のバスケットルーツを!!!

バスケを始めたのは10歳(小学4年生夏)で
最初は野球少年を目指して、素振りしたり、壁あてしたり、友達とゴムボール&プラスティックバット(テープで巻いて改造)で試合したりしていました。
2つ上の兄がいるのですが、
僕より先にバスケットクラブに入ったため、野球を断念させられ、のちにクラブに入れられたのがバスケを始めたきっかけです。
クラブに入ってみると、仲の良い友達が5人以上入っていて練習に行く気にさせられてました。続けていくうちに、OB(当時高校3年生)の方々が練習を見てくれるようになり、そこからバスケ熱が燃え始めました。

OBの方は、秋くらいから春休みくらいまで毎回来てくれたり、
自分の親が市の体育館を予約してくれて、個人練習したりした時にも来ていただき指導してくれましたね。
5年生からはOBの同級生の方が来てくれるようになり
卒業するまで見てくれました。
残念ながら市大会も出れず、地区の下位止まり。良い成績は出せなかったものの
当時から引退するまでのバスケ熱はここが原点だったかもしれませんね🤔
熱が入り出した時にたまたまBS放送でNBAが放送されていてのを友達からビデオでかり、めちゃくちゃ見てました!
好きになった選手はT-MACことトレイシーマクレディー!
得点力と一人アリウープに魅了されていましたねー

中学に上がっても熱は変わらず、日々練習に励んでいました。
1年生の時は顧問の先生の指導の元、練習に試合に明け暮れていました。
2年生の時はこれも恵まれ、外部コーチとして小、中の先輩(学校OB)が指導に来てくれることに。
急激に練習内容が変わり、かなりハードに😇
新チームになるのが2年生の夏からで
チーム目標が『県大会ベスト4』
と掲げ、ハードな練習に加え、いろんな高校に練習試合や合同練習をしていただき
チームのスキルアップに励みました!
濃い1年はあっという間に過ぎました。中学最後の結果は
福岡市大会1回戦負け。。。
悔しかったですね😓


中学生、俺

そこから進学どうした?

高校は同中学から以前プロとして活躍している方に憧れ、
同じ高校を志願しました。
『九州高校』
自分のレベルとしては相当厳しいところでのちに大苦労をすることに。
兄がいたおかげもあり、高校の試合を何度も観に行くことがあり、
魅了されたチームでしたので
引退して練習に参加させてもらったり、試合も観させていただきました。
中学卒業後、すぐに高校の練習に通うことに。
ある程度の情報なども聞いていて、かなり練習もハードで厳しいと、、、

いざ入学してみると、
それまで優しかった監督も鬼となり、厳しく指導されましたね笑笑
当時福岡県でベスト4に入るか入らないかの順位で、大濠・第一の次のチームを争っていました。
高校の目標は『大濠を倒して、インターハイ出場』
なぜ大濠だったかというと、第一には外国人がいる。
チャンスがあるとしたら大濠だと、、、🤐
チームスタイルはディフェンス頑張って、走って、3P!!!!!
現:NBAゴールデンステイト・ウォーリアーズのスタイル
(言い過ぎですが、マジで同じくらい3P打ってましたね笑)
本気で勝ちたい選手でやり合ってましたね!
苦労はすぐにやってきました。
自分達はお世辞にも言えないくらい酷いレベルでした。
福岡県の所謂、強いチームの中学生が練習試合に何度もきましたが、
僕ら1年生のみで試合すると毎回負けてました。
何度、やめろと言われたことか、、、
当時めちゃくちゃ情けないと思っていたし、それと同時に
絶対卒業までに見返してやると思うようになりました。
そこからですね、身体作りと自主練習にさらに励み、ほんの少しずつですが
上達するようになりました。
強いチームほど、毎年素晴らしい選手が入ってきますが、
僕らの下の学年からなぜか非常に上手な選手が入ってきました。
2年に上がっても、3年生が上手で試合に出れず、1年生も上手でベンチにも入れず応援席にいました。3年生が抜けるまで。
ここでも苦労しましたねー
同じ実力もしくは実力差が少ししかない場合、下級生を使うと。
毎回言われてましたね。プレッシャーをかけるように。
マジで毎回言われるのがうざかったし、悔しかった。
ただ、上手くいくまでは、上手くなるためにも我慢してやり続けるしかなかったですね🤔

新チームになり試合にも出してもらってましたが、
出るたびに怒鳴られてました笑
なんだかんだで試合には出させてもらっていて、自分でも
何かしらのトレーニングや自主練習を続けてはいたので
そのおかげもあり、気づいた時には実感できるくらい成長してました。
それでも高校の目標は達成できませんでした。
結構ハードでしたし、いろんな経験ができましたが
正直、バスケをやめどこでも良いから就職しようと思っていました。
続ける気は無かったですね、微塵も!
先生からもやめることは止められ、話をしましたが「考え直せ」の一点張り😱
思いとどまり、結局大学へ進学することを決めました。バスケで!

高校生、俺



そこから大学へ。
一度も全国大会に出たことがなかったので
全国出場を目標に、日々練習に励みました。
自分がプロを本気で目指すきっかけがこの大学時代に起こります。
それは大学2年のちょうど今ごろ!!!
(正確には春休み明けかな)
練習中に左足を疲労骨折したんです。全治4ヶ月くらいやったかな。。。
大学はバスケ部が全寮制だったし、体育館までチャリで行かないと歩くと20分くらいかな。足の骨折なのでギプス、松葉杖😇
体育館に行く気すら起こらず、寮でひたすらNBA観てましたね。
少し余裕ができ、体育館に行った際に
当時のコーチに
『もうマネージャーかトレーナーかコーチになったら?』
怪我をした自分を気遣ってそ言われたと思いますが
自分は
『もうプレイヤーをやめろって言ってる?』
と感じました。
コーチは元プロ選手。
高校ぶりにナニクソ精神が燻られましたね😂
そこから絶対見返す。と心に決め、
自分の目標がプロ選手になり、コーチを見返すことに!!!
その時は、誰にも目標を言わず
自分の中だけに留めていました。
そう思って1年が経つと、コーチが変わることに。
なんと、アメリカでコーチ留学し、プロのコーチ経験がある方が
コーチになることに!!!
僕に流れが傾いてきました。
最初、すごく厳しく、自分が言うことが絶対の人でした。
その他に自分がプロになると決めてから
プロ選手と一緒に練習していた方や個人レッスンをしてくれる方にも
出会っていました。
チーム練習とは別にそういう所にも行くようになり、考え方がガラリと変わりました。その方達のご厚意により、福岡のチームの試合を観ることが増え、よりプロを意識できる環境に身を置けることに。
さらには、福岡のチームや鹿児島のチーム練習参加したり、熊本のチームや当時大分のチームと練習試合させていただいたりもしていました。
またプロ選手の方々がオフシーズンに集まってきてくれて
試合してくれたりもしましたね。
試合に関わるようになったのは
実際4年生になってから。
上手くはなかったですが、ひたむきに頑張っていたのかな笑笑
結局、大学までの各カテゴリーで
全国大会に出場することはできず、引退することに。
引退してからも、社会人チームに練習参加させてもらったり、大会に出させてもらったり、個人レッスンやトレーニングをひたすら繰り返してました。
そうすると、年齢は近いが違い同じ志をもった人が何人も出てきました。
「上手くなりたい」「プロになりたい」
という人たちが。
当時、一緒に練習していたメンバーは今でも飯行ったり、電話で話したりするような仲です。一番年下で生意気な自分を受け入れてくれてました😄
早朝から浜トレ、ウエイト、シューティング、夜社会人チームの練習なんかを
頻繁にやってましたね。

卒業しても、そういう練習などを続け
(当時bjリーグ)各チームのトライアウトでの合格を目指した。
8月が最後で、結果
2チームに練習生として合格。
(練習生は公式戦には出れないけども、練習などに参加可能な
所謂プロ見習いという感じ)

思わぬ出会いと引き寄せから、
下手くそがプロの世界の一歩手前まで行きました。
この時に自分の想いが行動になり、想いがカタチになっていくことを
感じましたね。
足を骨折したのが理由で😂

長々書きましたがこのような感じで
プロの道を目指した理由と結果です!
プロの道に入ってからはまた要望があるか、気が向いたら書きましょうかね🤔

最後まで読んでいただき
ありがとうございました!!!


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