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天敵彼女 (63)

 それから数日間は、俺も奏も縁さんも、ひたすら大量の食材と向き合う事になった。

 とにかく冷蔵庫のスペースが足りない。あんなに詰め込んだものが一食で消えていく。

 エコバッグがはち切れそうになっても、買い物リストを消化しきれない事などざらだった。

 まさか、スーパーを往復する羽目になるなんて……俺は、信じられなかった。

 あんな〇さい身体のどこに?

 何度も余計な事を口走りそうになったが、俺はギリギリで踏み止まった。

 基本的に、うちは父さんも俺もそんなに食べる方ではないし、奏達もどちらかと言えば少食だ。

 その為、量より質。必要な栄養を少量でもとれるよう献立を工夫するのがうちの定番だった。

 それは、父さんと二人きりの時からそうだったし、奏と縁さんが引っ越して来てからも変わらなかった。

 それが、たった一人のフードファイターによって、こんな事になるなんて……本当に、早坂には驚かされる事ばかりだ。

「ごちそうさまでした(高音)」

 今、早坂のディナーが終わった。

 既に、奏と縁さんは食後のおしゃべりを楽しみ、父さんは自分の部屋に帰って行った。

 今日もきれいに食べきってくれたのを見て、俺は思わず頬を緩めた。疲れているはずなんだが、ちょっと清々しくもあった。

 俺は、気が付けば早坂の食べっぷりを好ましく思うようになっていた。

 正直、準備は大変だが、自分の作ったものを幸せそうに食べてくれるのを見るのは悪くない。

 たった数日でおかしなものだが、人はこうやって新しい環境に適応していくものなんだろうと思った。

 自分でも信じられないが、俺はこのまま早坂がずっとここにいてもいいとさえ思い始めていた。

 当然、そんな事はあり得ないのだが、こんな風に一度家族に溶け込んでしまった存在を、どう切り離すのかは難しい問題だ。

 きっと早坂のご両親が、娘の外泊を認めるのは大変な事だっただろう。

 特に、娘ラブが過ぎる親父さんの心労はいかばかりかと思ってしまう。

 幸いにも、早坂パパは今の所自重してくれているようだ。奏のスマホが鳴りっぱなしになっていないのが何よりの証拠だ。

 俺には、早坂の家は良い家族に思える。どうしてこんなすれ違いが生じているのか良く分からない程に……。

 何だか、うまく言えないが、今回の事がうまく収まって、早く早坂とご両親の関係が元通りになってくれればと思う。

 うちのように、二度と元には戻らない家族もあるのだから……。

 さっき奏が教えてくれた。明日、早坂は家に帰るようだ。

 そのせいか、今日は妙に奏のスマホが騒がしい。相変わらず両親と直接コンタクトをとりたがらない早坂の代わりに、連絡役をしているようだ。

 最後まで、どうしてうちに来たのか分からないままだったが、奏もいるし、俺があれこれ詮索する事ではないだろう。

 俺は、早坂に声をかけた。

「お粗末様でした」

 早坂は、すっかり慣れた様子で食器を片付けていた。若干、シンクの位置が高いのか、つま先立ちになっているのもいつも通りだ。

「今日も美味しかったです(高音)」

 早坂の頭の位置が少し下がった。背伸びを止めたせいだろう。

 普段、当たり前のようにやっている事でも、早坂フィルターを通すと、違う種類の何かに変貌する。

「それは、良かった。何だか寂しくなるね」

 俺は、自分の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。

 早坂は、何故が口ごもった。

「さささ、寂しいって……(さらに高音)」

 何か悪い事を言ってしまったのだろうか? 若干、顔が赤い気がする。

 早坂は、それからしばらくの間挙動不審だったが、大きく息を吐いた後に復活した。

「しょ……そうですね。もう叶野君達の料理食べられなくなると思うと、寂しいです(通常の高音)」

 俺は、何だかしんみりしてしまった。向こうはどうだか知らないが、気が付けば俺は早坂との別れを惜しんでいた。

 それはまるで、拾ってきた子犬の飼い主が見つかり、元の家族のもとに返さなければならなくなったような感じだった。

 俺は、感傷的な雰囲気を変える為、多少おどけて言った。

「そう言ってくれると嬉しいけど、そろそろお母さんの味が懐かしくなってきたんじゃない?」

 早坂が首を傾げた。

 もう帰るんだし、母親WINと即答してくれてもよかったんだが、早坂は真面目に考え込んでいるようだった。

「そ、それは……確かに、そういう部分はありますけど、叶野君や奏ちゃん、おば……縁さんの料理、本当に美味しかったです」

 早坂が俺に微笑みかけた。

「そう、良かった」

 俺も、表情を緩めた。

 一瞬、縁さんが早坂に名前呼びするように言い聞かせている姿が頭に浮かんだ。

 自分も最初は慣れなくて大変だったなぁと思い、何だか微笑ましくなった。

 多分、早坂も縁さんにとってたまに会う間柄ではなくなったという事なんだろう。

 ほんの数日間だったが、明日から寂しくなりそうだ。

 普段他人に興味を持つ事が少ない俺でも、こんな風に一緒に食卓を囲んだ相手には、それなりの愛着が生まれるのだと思った。

「また、何かあったらうちに来なよ。奏も縁さんも、父さんも、早坂が来てくれて何だか楽しそうだったしね」

「そう言っていただけると、嬉しいですっ!」

 一瞬、早坂の目が光った……気がした。

 ちょっとまずいかもしれない。このままでは、家族と何かある度に、早坂がうちに来る流れが出来てしまう。

 俺は、もしかしたら余計な事を言ってしまったのかもしれない。

 妙に嬉しそうな早坂。鼻歌交じりなのが実に香ばしい。

 さっきの話をなかった事に出来ないかなどと考えていると、電話を終えた奏が早坂を呼びに来た。

「都陽、ちょっといい?」

「あっ、うん。すぐ行く」

 詰んだ。俺には、もう早坂の誤解を解く方法が見つからないが、何故かそのままでも良い気がした。

 早坂は何だかんだで家族とうまくやっていくだろうし、奏が困るような事もしないだろう。

 まぁ、何とかなるさ……俺は、奏達を見送ると、急いで洗い物を始めた。

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