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天敵彼女 (32)

「はい、じゃあ号令」

 担任がそう言い終わるかどうかのタイミングで、日直がいつもの発声練習をした。

「起立っ!」

 やっとホームルームが終わる……俺は、条件反射的に立ち上がると、謎のダッキングをして、また席に着いた。

 椅子を引きずる音と、不必要に舞う埃。担任が廊下に出る前から騒ぎ始めるクラスメイト達。

 それはいつもの光景だった。

 違うのは、隣に奏がいて、更に向こうに早坂がいる事。昨日まで見なくて済んでいた佐伯のにやけ面を視界の端に捉えなきゃならなくなってる事だった。

「叶野くーん、ピースピースぅ」

 俺は、思わずため息をついた。

 最近本当に色んなことがあった。やっと朝のホームルームが終わったばかりなのに、俺はもうお腹一杯だった。

 疲れた。動きたくない。帰りたいの三連コンボを発動した俺は、また窓の外を見た。

 あと数分もしたら、別の教師が来て、また「起立!」が始まる。

 ああめんどい。残り何回スクワットをしたら放課後になるんだろう? などと考えていると、奏達が俺に話しかけてきた。

「次、世界史Bだよね?」

「うん、教科書とか持ってる?」

「あるよ。これで大丈夫?」

「うん、二人とも俺のと一緒だね。当たり前か?」

「そ、そうだね。それより、今日はどこからなの?」

「このページからだよ。早坂も大丈夫?」

「えっ、ええ……このページからですね?」

「うん、うちはそんなに授業のペースは早くないと思うから、もしかしたら
もう習ったところかもしれないけど、何か分かんない事あったら、聞いてく
れれば……」

「うん、お願いね」「お願いします(高音)」

 俺は、こうして隣の転校生たちに最低限のお世話的なものを済ませると、ずっとニヤニヤしている佐伯を睨みつけた。

 もうすぐ授業が始まる。俺は、ボーっとして教科の先生が来るのを待った。

 その間も、奏達は教科書を見ながら二人であれこれ話をしているようだった。さすがの真面目さだと思った。

 これはとても真似できないな……俺は、二人をそっと見守る事にした。

 それからしばらくして、奏の前の席の女子が後ろを向き話しかけてきた。

「八木崎さんに、早坂さんだっけ。私が皆川で、この子が明瀬ちゃん、これからよろしくね」

「八木崎です。よろしくお願いします」

「早坂で……す。よろしくおねがいしま……す」

「明瀬です。八木崎さん、早坂さん、よろしくお願いします」

「あたしが皆川だよぉ、みんなよろしくねぇ! って、それより……もしか
して、教科書見て予習してるの? さすが秀麗だね。私、勉強苦手でさぁ……分かんない所教えてくれると嬉しいんだけど……」

「もう、皆ちゃんは初対面なのに何言ってるの? ごめんね、気にしないで」

「いえいえ、私たちが教えられるか分かりませんが、何かあれば言ってください。あと、私も都陽もこの学校の事まだ良く分からないので、こちらこそ分からない事を教えてもらえると助かります」

「まかせて! まずは、購買のおすすめパンから」

「もう、いきなり何教えようとしてるのよ。はいはい、解散、解散! 授業始まるよ。じゃあ、またね」

 俺は、特に奏達と女子達の会話に混ざることはしなかった。男女別の授業もある事だし、奏に女子の友達が出来るのは良い事だと思ったからだ。

 今の所、例の集団欠席関連のメンバーは大人しいし、席も離れている。何より、佐伯が近くにいないのが最高だ。

 どうやら、偶然とは思えない程、俺達は良い席順に恵まれたようだ。

 その点では担任に感謝しないとなのかもしれない。次の席替えがいつあるのか分からないが、当面は安心できそうだ。

 それから、俺は周囲の会話にさりげなく聞き耳を立てつつ、佐伯のねっとりした視線を無視し続けた。

 その間にも、数人が奏達に声をかけてきたが、二人とも問題なく応対出来ているようだった。

 時折、都陽という子が噛みそうになるのだけが、若干スリリングだったが、今の俺に出来るのは信じる事だけだった。

 幸い、俺や担任からそれとなく事情を説明していたせいか、他人の事情を無遠慮に詮索して来る輩はいなかった。

 有名なお嬢様校からうちみたいな公立校に転校して来た上に、何らかのトラブルを抱えている……そんな二人を最初だけでもそっと見守ってくれたクラスメイト達には感謝するしかない。

 もちろん、大抵の嫌がらせは陰に隠れるものだから、しばらくは注意しないといけないが……そんな事を考えている内に授業が始まった。

 それからは、特に何事もなく時間が過ぎていった。

 気が付けば、昼になり、俺は奏達に声をかけた。

「昼どうする? 奏は弁当だよね? み……早坂は、弁当?」

「はい。弁当です」

 都陽という子と目が合った。この時、「都陽という子」は俺の中で「早坂」になった。

「じゃあ、ここで食べてもいいし、どこか食べに行ってもいいし、そこは二
人が好きなようにして」

 そう言って、席を立とうとする俺に奏が訊ねた。

「峻はどうするの?」

 俺は、思わず奏に目で訴えた。

 ここで一緒に食べるのはまずくない? 弁当一緒だよ?

 でも、奏はニコニコしているだけで何も言わなかった。

 こういう時の奏の目は口ほどに物を言う。

 いいから、一緒に食べようよと言っているように思えた。

 昔から、こうなると奏は一歩も引かない。

 俺は、仕方なく椅子に座り直した。

「俺は、自分の席で食べる……よ」

「じゃあ、私もそうする。都陽はどうするの?」

「私もここで」

 それから俺は、周囲の様子を伺った。

 佐伯はいない。どうやら購買のようだ。

 ヤバい奴が帰ってくる前に、片を付けなければ……俺は、奏と早坂がドン引きするレベルのフードファイトを始めた。

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