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自己研鑽ってなんだよ

暑い!!!!

どうもこんばんは、木曜日のnote更新です。

インターネットを徘徊していたらこんなニュースを見つけた。自分が医師になって3年目の頃を思い出して、”自殺か、そういうこともあるだろうな…”と思った。

時間外200時間という数字がそもそもやばいのは大前提として、医者は3年目の勤務が一番しんどい。2年目までは研修医として主治医に守られている。一応お医者さん扱いされるけれど、その責任はまだ軽い。治療の方針決定や患者さん本人・ご家族への説明など、最終責任は全て主治医が負う。研修医が自己判断のみで治療を行うことはまずない。

2年目の3月31日までは主治医の指示で動いていればよかったのに、3年目の初日である4月1日になった途端、”はい、治療の全責任はあなたが負います。頑張りましょう”ということになる。これは頭で分かっていても、実際にその環境に投げ込まれてみると相当しんどい。

昼間の病棟には上司がいるから、もちろんわからないことがあれば質問することができる。でも、必ず上の立場の人間が一緒に診療をしてくれていた研修医時代とは違って、3年目の医者はまず自分の頭で考えてみる必要がある。こちらから質問をしない限り上司が何かを教えてくれることは原則ない。しかも、次から次へとタスクが降ってくるので、質問のタイミングすら掴めないこともある。ひっきりなしにPHSが鳴りまくり、やるべきことがぎっしり書かれたメモの切れ端が常に白衣のポケットに入っていた。とにかくあまりにも忙しい。

一番恐ろしいのは夜間の当番で、私が当時勤務していた病院では救急外来の当番に加えて病棟の当番も担当しなければならなかった。真夜中の院内にいる内科医は専門に入ったばかりの自分一人で、”今、この病院のどこかで何かが起きたら真っ先に自分が駆けつけて対応しなければならない”というプレッシャーに押し潰されそうだった。無論、一番恐ろしかったのは、3年目のケツの青い医者に対応される患者さんだったと思うが…。

私たちは最終責任を取るということを一度も経験しないまま、3年目の環境に放り込まれる。これはもう、医者全員がそうである。急に責任が激しく重くなり、それに加えて時間外労働が100時間を超えるのは当たり前になる。
ほぼ毎月のように産業医から呼び出しがかかっていたが、忙しすぎて産業医と会う暇すらなく、呼び出しを完全に無視していた(後輩の皆さん、絶対に真似しないでください)。周囲もそうしていたから、それが当たり前になっていた。

数字が分かる時間外労働に加えて、3年目の医者には大抵の場合、オンコール業務も課される。これは”何かあったら病院に呼ばれるよ”ということである。自分が所属する科の患者が時間外に急患として入院することになったり、自分の担当ではなくても病棟の患者さんが急変したりすれば、病院に出向くことになる。何も起きなければ呼ばれないこともあるのだが、まあ、”呼ばれるかもな”と思いながら家で過ごすので、気持ちは落ち着かない。

当然のことながら、酒も飲めないし遠出は以ての外である。生活は制限されるが、オンコール業務は時間外労働時間としてはカウントされない。200時間の中には含まれないのだった。オンコールがあったから、3年目に入ってから1年は映画館にも行けなかった。いつ病棟から電話がかかってくるか分からないから、常にスマホを側に置いていた。シャワーを浴びる時も、湯船の縁に置いていたのを思い出す。

3年目の1年のあいだに、同期が一人退職し、もう一人は体調を崩して数ヶ月休職した。そりゃあそうだ。こんな生活をしていて精神や肉体がまともでいられるわけがない。
実際、私自身も毎晩病棟に呼ばれているうちに精神をややおかしくして、夜の病棟でカルテを打ち込みながら泣いて夜勤の看護師さんに慰められた。あの時の看護師さんには余計な仕事を増やしてしまって申し訳なかったと思う。

私が時間外労働200時間ごえの世界をサバイブできたのは単に運が良かったからである。なんか、なんとかなってしまった。でも、それを管理組織側が正当化するのはまずいと思う。

センターは読売新聞の取材に「病院にいた時間が全て労働時間ではなく、『自己研さん』の時間も含まれている。学会発表も当院からの指示ではなく、当院が指示した範囲では業務量は適切だった」と長時間労働の指示を否定。一方で、労基署が認定した労働時間に基づき、遺族に未払い残業代を支払ったという。

冒頭の記事より引用

自己研鑽か。本当に酷い話だ。医師の労働時間に上限が設けられるようになって、そういう言葉が聞かれるようになってしまった。

今までは働かせ放題の働き放題だった勤務医の労働環境に、ついにメスが入ることになった。月の時間外労働は100時間が上限だそうだ。つまり、私が働いていた頃の半分程度ということになる。

私は200時間働きたくて時間外に病院にいたわけじゃない。そうせざるを得なかったからそうしただけだ。私に長時間働く趣味はない。ごく一部の医師を除いて、大抵の医師は普通に家に帰りたがっている。

それでも長時間労働が常態化するのは、その必要があるからだ。そして、その状況は今も変わっていない。変わらないまま、時間外労働時間の上限だけが導入されてしまった。やるべきことはあるのに、時間外は制限される。そういう歪みから生まれたのが、”自己研鑽”という言葉である。

”病院側としては家に帰らせようとしたんですよ〜、でも、医師が自分の判断で病院に残って仕事をしてたんです”というのが自己研鑽という言葉の意味だと私は解釈している。自分が遺族だったら許せないし、あってはならないことだというのは大前提として、現場を見てきた人間としては、”まあ、そういう方便が横行するよな…”という諦めに似た気持ちもある。

時間外に上限ができたからといって、仕事の量が減るわけではない。病院組織側や現場で働く人間はなんとかして抜け穴を探すことになる。私が当時産業医からの面談要請を毎月無視していたみたいに、制止を振り切って働く人間が続出することになる。

一線から退くことも、辞職することも、医者には権利として許されている。真面目な人ほど自分で責任を抱え込み、限界を迎えてしまう。同じようなケースが繰り返されないことを願っている。

Big Love…