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わたし、ポンコツなんです。50代ですが「生きやすい」を考えてみたい ❸がんばるってどういうこと?三者三様成功談

わたしには3人のこどもがいます。
男男女の順で、下二人は双子です。24歳19歳19歳社会人大学生大学生です。
わたしは彼らが誇りです。
なぜなら、3人は皆自分の道を常に自分で切り開いて、希望をかなえているからです。わたしの子なのにこんなふうに育ってくれて、本当にありがたいと思っています。

ある日こどもたちに聞いてみたのです。
希望を叶えたのは、どんなふうにがんばってきたからだと思うか、と。
するとがんばりかたは三者三様だったことがわかり、興味深いことがわかりました。「成し遂げる」ために彼らがしたことは「がんばること」ばかりではなかったのです。

今回はそんなことを通じて、自分のポンコツ対策を考えてみたいと思っています。


娘は末っ子だからか、兄弟とはりあうようなところがあり常に強気なところがありました。
幼い頃から負けず嫌いで、女の子ということすらくやしかったのか、兄たちと同じく男の子のようにふるまい、見た目も女の子の好みそうなことはすべて嫌がりました。
お姫様のような格好にあこがれるどころかスカートすら泣いて嫌がり、洋服はすべてスポーツメーカー、ランドセルも濃紺で、空手をやりたいと小学生5年間毎日のように道場に通いました。野球も男子の中でピッチャーをつとめ、しっかり活躍しました。

我が家の習い事は自己申告制だったため自分からなにか希望しないかぎり何も始まらず、こどもたちから言わなければわたしから直接すすめたりすることはありませんでした。特に勉強面では、わたしがなにをどうしたらいいのかわからなかったこともあり、全くの手放しでしたが、「この子たちは、何が一番好きなんだろうか」ということだけは気を付けて観察していました。
わたしの経験から「好きな事は大人になっても変わらない。一番楽しい時間」と思っていたので、そのことで親として協力できたらいいなと考えていたのです。
好きなことを好きなだけ出来るというのはきっと幸せな毎日になるだろうと思いました。

幸せになってほしい。そしてたくさんの人にかわいがられる人生であってほしいというのがわたしの子育ての目標でした。

娘は運動が好きみたいだと思いました。
勉強もあまりやらず、部活のテニスや駅伝の選手に選ばれて活躍していたのでスポーツに力をいれているような学校もいいかもと思っていました。新潟の高校の女子野球部からスカウトもいただき、本人もまんざらでもない様子でした。しかし成績はすっかり落ちていました。三者面談では先生と困ったなという話にばかりなっていました。

けれどここで彼女の負けず嫌いが功を奏したのでしょうか。双子の兄に負けるのが嫌だったようで、人が変わったように勉強し始めました。
というのも、その頃、その双子の兄が野球で早実に行きたいと言い出したため、早稲田は塾で対策しなくては無理ではないかと言ってみたら、じゃあ塾に行きたいといいだしたのです。それをきいて娘も私も行く!と俄然張り切りだしたのがきっかけでした。英語の単語や熟語をすごいいきおいですごい量を覚えさせられ、これが塾の力かとわたしも目を見張りました。この時のこのつめこみはすごくよかったと後に娘は言っていました。

娘はラストスパートでおいあげ、偏差値50から60くらいの学校に入ります。試験なしで推薦で入る子もたくさんいる学校だったのでかなり成績は幅広く、やる気のある子、ない子の差もかなりあるようでした。相変わらずわたしは子供たちの成績に無頓着で、「やりたいことができる大学を」と思っていましたが、娘は2年生くらいから人が変わったように勉強しはじめました。優秀なお友達に感化されたようです。

行きたい大学も自分で決め、しかも「行きたくないところを受けても仕方がない」の一点張りで2校しか受けないと言ったときはハラハラしました。大学受験は5,6校は受けてあたりまえ。10校受ける人もたくさんいます。でも受験料が一回36,000円ときいていたので双子はきついなと思ってはいました。娘はきっとそんなことも気をつかってくれていたのでしょう。「お金ならどうにかするよ。もう少し受けたほうがいいよ」と言ってみましたがガンとして譲らず、担任の先生も困っているようでした。でもそのうちの一つに堂々と合格してくれたときは本当にすごいと思いました。信じられないくらいでした。
どうやって成し遂げたのだと聞いた時、教えてくれたのは、こうでした。
◎何時から何時まではこの教科のこのページ、というように細かく設定。そしてそれを絶対にやる。もしできなかったら次の日までには絶対にやり終える。
◎英単語を一日10覚え、次の日はその10も一緒に次の10覚え、次の日はその20も一緒に次の10覚え・・・と一週間重ねながら覚える。これがとてもよかったとのこと

いずれにしても娘はとにかくコツコツ派で、もくもくと努力する人のようです。えらいなあ。本当に尊敬します。
娘は飽きっぽいわたしに時々イラっとしています。(笑)

さて、兄である双子の次男ですが、彼は小学生の頃やはり自己申請で野球がやりたいと言ってからずっと高校3年まで続けていました。中学と高校は夜はもうバタンキューという感じで野球野球の毎日でした。

それよりもっと幼い頃、ルービックキューブにしつこく挑んだり数学的パズルを大喜びでやったりした時期があったので数学が好きみたいだと思っていましたが中学くらいから数学ばかりやり、苦手な国語には手を付けないためどんどん国語がわからなくなっていったようです。
先程書きましたように、彼は早稲田実業の野球部に入りたいと頑張ってはいましたが、力及ばず、都立高校の比較的野球に力をいれている高校に入ります。でもその学校の環境がとてもよくて、わたしは今でもとても感謝しているのですが、野球をやっているから成績が悪くても仕方ないということは絶対に許されない!という環境でした。朝の6時くらいから集まって「勉強の朝練」というのが毎日あったのです。そのために5時には家をでていましたが、電車の中でも必ず勉強するように言われていたようで、(たぶん息子は寝てしまっていたとは思いますが)野球のせいで勉強がおろそかになるということが当たり前と思っていかん!という雰囲気でした。だからチームメイトもみんながんばりやさんで学校全体がそんな気風がありました。
本当に環境というのは大事ですね。
保護者の皆さんも教育熱心ではありましたが、でも朗らかというか、みんなと仲良くするという方が多く、いままでにないくらい良い方ばかりがいるという学校でした。
次男は家ではいつも寝ているところしかみないくらいでしたし、生物などは通知表に2がついてきたりしていたので、浪人という可能性も7割以上覚悟もしていましたが、彼もやはりやりとげ、希望の大学に入れたのには驚きました。

次男もみていないところで娘のようにがんばっていたのだなあと思い、きいてみたところ、全然娘とはやり方が違っていました。
◎とにかくこの1冊はやりとげようと、うすい問題集を全部やるということが一番大きな目標だった
◎でも結局やりとげられず、数学の「確率」だけが心配だったのでそれだけをやっていた。
◎ここはわかっているからもうやらないと手放して、「やらないこと」を決めて勉強した
◎受験直前にはもう量子力学は間に合わないと思って全部すてたので、その問題ばかり試験に出た大学は落ちたのだそうです。

そうだったんだー。という話で、改めて聞いてみてびっくりしました。
娘のようにとにかくコツコツやる!ということは全くなかったようです。
それでも受験に成功したのは授業や朝練などで「わからなくならないように」気をつけていたのかなあと思います。授業の勉強時間などを効率よく利用していたのだなあと思いました。


さて、長男ですが。
かれははやくからはっきりと「電車好き」なところをみせたため、彼が望むままに電車をみにいくというような毎日でした。とにかく人との交流が嫌いで公園も児童館も泣いていきたくないというので、電車をみにいくしかないというのが正直なところでもありましたが・・・。
彼はそんな人だったので、何かを習いたいということは一切言いませんでした。
誰とも会いたくない感じでしたもん。笑
だから習い事はなにもしておらず、
塾もいきませんでした。

小学4年生の時に一人で電車に乗ってみたいと言い出し東京から群馬県の前橋大島駅というところまで行きたいというので電車賃をあげたのですが、帰ってくるまで心配だった覚えがあります。
でも、計画したとおりに行って帰ってこれたという経験が楽しかったのか、地図をみながら遠くに行く方法を書き出しているので、時刻表というものがあることを伝えてみたらこれがハマり、もうバイブルのように毎日みては時間と列車を書き出していました。実践してみたいと思ったのでしょう、お得なきっぷを調べたり、駅が重複しなければ初乗り料金で遠くまで行けることなども知り、時刻表をリュックにいれてでかけるようになりました。綿密に計画してでかけるので大丈夫そうだと思い、交通費の援助をしてあげることもありました。

駅名や地理をどんどん覚えていき、それはみていて気持ちがよいくらいでした。
好きな事というのはこんな力があるんだなあ!とびっくりしたのを覚えています。

その後も中学や高校で勝手にどんどん旅にでかけていたようで、いつのまにか夜行バスに乗ったり、飛行機などにものってずいぶん遠くにもいっていたのだということを成人になってからきき、全然知らなかったなんて母親としてわたしもずいぶんうかつだったと反省しました。

彼の旅行好きはどんどん旅の範囲を広げ、海外にも行きくようになりました。
心配なくらい人嫌いだったのに、たくさんの人たちとの交流が楽しいというようになったことは、本当にいまでも不思議だなあと思います。
こんなに人ってかわるもんなんだなあ!
すごいですね。

長男は勉強があまり好きではなく、大学受験も希望通りに行かず、留年もしてしまうのですが、就職試験で希望のところに決まり、現在は金融関係で働いています。

面接試験で留年の理由もきかれただろうし、良い印象をもたれない材料をもっていながら、どんなふうに「希望をかなえた」のだろうと思ってきいたらこんなことを教えてくれました
◎旅の話に興味をもってもらえた。旅の計画の内容がおもしろいとおもってもらえたようだった

だいたいは一人旅で、安くおさえるためにいろいろな工夫をしていました。観光ということには興味がなく、現地の人とのふれあいやサバイバルが楽しいとよく言っていましたが、おもしろいエピソードをたくさんもっていたのかもしれません。

そして、「自分で考えてどうにかしていくのが楽しい」という息子の考え方を企業は、かってくれたのかもしれないなあと思いました。

自分の好きなことで、
子どもの頃からの得意分野で、
長男はまさに人生を切り開いたのだなと思ったら、
7回ほど面接があったようですが、すべて突破していったということに、おもわず拍手してしまいました。


娘は大学に入ってからはじめての海外一人旅に挑み、味をしめ、バイトをしてお金をためるとまたでかけるということをくりかえし、10か国以上をまわりました。
兄の影響もあるかとおもいますが、彼女も現地での人との交流が楽しくてたまらないといいます。
長男の一人旅で免疫があるとはいっても女の子の一人旅は行くたびに心配ではありますが、
でも行きたいのだからしかたないとも思えるし、
いくら「やってみなさい」とこちらが言ってもなかなかできないことでもあるので、自分からやってみたいという気持ちになるということはすばらしいことだと思っています。

「どうしよう!ってところからがおもしろんだよ!」
と娘はいいます。

前回の旅でも思いがけずバスが遅れ、乗り継ぐ次のバスにあと5分しかないとなり、ああもう日本に帰れないかもと一瞬頭の中によぎったそうですが、バスのなかで仲良くなったトルコ人の男性が走って次のバスを止めてくれてどうにかこうにか乗れたとか。それはきっとすごい感動の体験だったろうときいていてこちらもワクワクしました。でも乗れなかったらその後の計画はどんどん変更したんだろうなあ。本当に予定通りには帰れなかったかもしれません。想像したらちょっとドキリとしました。

でも、こんなふうに三人三様の努力の話をきいて俄然勇気がでてきました。だってわたしの苦手とするコツコツだけがやりかたではないとわかったからです。(娘のやり方はとても真似できないなあ)

でも3人とも共通しているのは
自分で考えてどうにかするということ。
とにかくやってみるということ!

前に進むことが解決なのですね!
すぐに逃げることばかり考えてしまうわたしには、良い発見でした。

やりたいことなら困難や課題にぶちあたった時、それを乗り越えようとがんばる気持ちが湧いてくるのでしょう。その繰り返しでどんな時も乗り越えられる訓練となり、困難にこそやりがいを感じるような人になっていくのかもしれません。

前に進むということにこそ解決がある。

ポンコツ対策、勇気を持って挑みます!

※にゃこぱんさんのステキなイラストを使わせていただきました!ありがとうございます!


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