選ばれたのに、選べなかった私
何に不快感を感じているのか。
先日、とある公演を見て以来、心のざわざわが止まらない。ここしばらく消えていたはずの希死念慮、そんなかっこいい言葉はいらない、単純に「死にたい」って気持ちがもくもくと湧き出ていて止めることができない。
心をずっと言葉にしてみた。ひっかかっているのは、公演中のあの言葉。
「こどもは、母親を選んで生まれてくる。空から母親を探して飛び込んでくる」
母親だけでは親になれないのだが。という話はおいておき。(この言葉を発したのは男性である)今年45歳になる私は、かれこれ3人の子を流産し、1人の子を死産している。死産となった子が生まれていれば、来年20歳になる。もしかして二人でオリンピックを見に行けたのかもしれない。そんなありもしないことを考える。
彼女は、(なんとなく娘だったと思っている。性別は判別できなかったのだが)自分が生きて生まれないことをわかっていて私を選んだのだろうか。それとも私が自分の健康に無頓着だったから、生まれてくるはずの娘を爆速で空に返してしまったのだろうか。
わからない。
わからないから、娘本人に聞きたい。
娘に会いに行きたい。
そのためには?
これが今の気持ちである。よくない思考であろうことは自分でもわかるが止められない。そもそも公演の前日に体調を崩し、チケットは用意してあったものの参加を控えるつもりであった。それでも無理に参加したのは、主催者の方に大恩があるから。予約時、会場に名前を伝えているので、私がいなければおそらく主催者はそれに気づくだろう。そのあと気まずくなってしまうことも想定され、それを避けたかった。
主催者の方は私の夢をたくさんかなえてくれた方で、尊敬しているし、ご迷惑おかけしたくないし、役に立ちたいと思っている。
だけれども、関係を続けていけばこの公演の演目に今後も触れないわけにいかず、そして、そのおかげで、私は、封じ込めても封じ込めても何度も立ち上がってくるマイナスの感情と戦わなければならなくなるのだろう。それは、私の人生にとって良いことなのか。
答えが出ない。
娘に対して申し訳ないと思う気持ちと、ふがいない自分の健康と、恩師の姿がいれかわり立ち代わり心を刺す。
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