67.オランダ独立戦争
①オランダという場所
オランダのある地域はネーデルラントの北部。この地域は低地にある。ネーデル=低い。ラント=土地。
オランダという言葉は日本で使用されており、ヨーロッパ人に言っても通じないらしい。江戸時代にオランダ人がやってきてホラント州からやってきたと言ったのがなまってオランダとなった。
アルプス山脈のマッターホルンからの雪解け水がライン川となって下流へと。
ネーデルラントはずっと湿気があり、とても人の住めるとこではなかった。しかし、人々はここに住んだ。
風車を作り、風を飛ばし、堤防を作って水をせき止めた。
ネーデルラントの人々は思った。「ここの土地は我々が作った。神はこの土地にめぐみを与えてはくださらなかった。しかし、我々はここに住んだ。」
②ネーデルラントの宗派は?
ネーデルラントにカルヴァン派が入ってきた。ネーデルラントの人々は思った。
ネーデルラント人「まるで我々のための宗派だ。働いていいなんて。」
ネーデルラントに急速にカルヴァン派が広まっていった。
③ネーデルラントを治めていたのはカトリック。
ネーデルラントがカトリックのハプスブルク家の領地になった理由から。
ブルゴーニュ公がネーデルラントを持っていた。ブルゴーニュ公はフランス王と対立していたため、対抗するために東側のハプスブルク家と結婚し関係を強めた。
息子のフェリペ1世にフアナ王女が近く。スペインもフランス王に対抗するためにハプスブルク家と結婚し、スペイン=ハプスブルク家ができる。
位置関係。
位置関係。
フェリペ1世の息子、カルロス1世。顎がすごい。カルロス1世は神聖ローマ帝国皇帝選挙に立候補し、見事当選、カール5世となった。
スペインではカルロス1世。
神聖ローマ帝国ではカール5世。ややこしい。
④カール5世はどこにいたのか。
ネーデルラントにいた。スペインにも神聖ローマにもすぐにいける。そしてスペインが植民地から持ってくる銀や香辛料がネーデルラントへは運ばれて大陸へ売却されていくから活気がすごいのだった。
カール5世はカトリックの守護者である神聖ローマ帝国皇帝。その領地にカルヴァン派のネーデルラントがある。しかしカール5世はカルヴァン派を放置した。
カール5世「働いてくれるし、まあいいんじゃない。」
ともかくも結婚によって大量の領地を手に入れたカール5世。次第に年も取り活力も消えていく。息子に継がせる時が刻一刻と近づてくる。
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