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忘れられないベトナム人の彼女

 はじめてこのトピックの提案?をいただいたとき、すぐに思い浮かんだ人は、まだ学生と同じような感覚で働いていた社会人1年目の私に影響を与えたベトナム人の学生でした。

 外国人と関わりたいという思いで、大学卒業後すぐに日本語学校の事務として勤務をはじめた私は、今思えば国際交流を楽しみたい、外国人の友だちをつくりたい、という軽い気持ちで働いており、周りから見れば精神的にかなり幼かったように思います。

 実家から職場に通い、養わなければならない家族もいなかった私から見れば、国で借金をし、朝から晩までアルバイトをし、かつ日本語学校でも寝ずに真面目に学ぶ彼女の生き方は、改めて自分は恵まれていると感じざるを得ず、衝撃的でした。

 そんな彼女からいつからだったか忘れましたが、夜によく電話がかかってくるようになりました。会話はもちろん日本語で、同じ歳なのに「~ます、~です」の丁寧な言い回しで語ってくれていたのをよく覚えています。夜中まで話していたときはわたしが眠くて途中で寝てしまい、のちのち「いびきかいてたよ」とからかわれたりもしました。

 勤めてから2年目の夏にベトナムに行きました。職場の人には言わず、彼女の家に遊びに行き泊めてもらいました。ベトナムは初めてじゃなかったんですが、ハロン湾クルーズに連れて行ってもらったり、友人を紹介してくれたり、ベトナム語ができない私を手厚くもてなしてくれました。今思えば、教え子(当時は教師ではありませんでしたが)の実家に泊まるのは非常識なことだと思いますし、職場にばれていたら叱られただろうと思います。

 そのときの訪問で「もっと彼女を知りたい、彼女の国のことを知りたい」と思い、ベトナム語の勉強をはじめました。ベトナム語を学ぶ過程で、ベトナム文化や、ベトナム人のことも少しずつ理解が深まるような気がし、また学ぶにつれ、もっと知りたいという気持ちも強くなりました。

 その1年数か月後、わたしはハノイの大学での勤務を決意し、ベトナムで実際に生活をはじめることになります。いま思えば、ベトナムでの経験は現在の日本語教師としての自分を構成している大きな要素の1つです。そのきっかけがベトナム人の彼女との出会いであり、共に過ごした時間だったんだと思います。

 残念ながら彼女はアルバイトの勤務時間の過多がたたってビザがでなくなり日本から強制帰国を余儀なくされました。今は再び韓国で韓国語を学びながらアルバイトに明け暮れています。そんな人生でも、生活のなかでの楽しみを忘れず、笑って過ごしています。そんな彼女の強さには、感服するばかりです。


#忘れられない外国人のあの人








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