よう。元気にしているかい、人間よ。今月ももう終わりらしいぜ。
 僕は元気だ。ただ、春先に済ませようとしていた事を溜め込みすぎていたようで、その全ては済んでいない、という状況にある。少しずつは済ませられているため、至って好調だ。僕の思う速度で、僕は新年度のスタートダッシュを決めている。

 さて。今回は、僕の前を走る人へ思った事を記録しておく。

 先日、他人の黒歴史の話を聞いた。特に深刻な事ではない。近況報告のような話の延長で、その人の過去の話を僕が持ち出した。
 その人と僕は互いに学生の頃を知っていて、親しくはないが今もまだ近しい、という間柄だ。
 その人は当時の自身を「イタかったよな」と苦笑いしながら話していた。「お前に言われて思い出したわ」と続く話に、時の流れを思った。

 僕から見た当時のその人は、尖り・イン・ザ・青春な上級生という様子で、僕にはない輝きを纏っていたように思う。具体的には、ピックに削られた弦が放課後の光に反射した輝きだった。
 それは、少なくとも僕の目には羨望として映っていたから、本人が「イタかった」と言った時、僕は複雑な気分になった。そういう年頃だったんでしょうよと返したところ、「あれは黒歴史」とまで言い切られてしまった。
 だからその後、自分のやりたい事を貫いていたのはすごいとか、こっちは貴方のそれを見てあれを覚えたとか、そういう言葉を返したのだが、その人は認めている時の「いやいや……」を言い残して沈黙した。今照れるのかよ、なんだよ謙虚になっちまってよ、と思った。
 僕の記憶は美化されている部分もあるだろう。だが、当時の思い出は確かだった。その人の当時の自身への評価の低さも、その人が大人になったという証明のように思えた。昔は尖り散らしていたくせに、などと思った。

 そして、次に「お前は?」と訊かれた。お前にも黒歴史はないのか、という問いだ。難易度が最強の問いだった。当時の僕を見ていたその人へ、僕が答えられる事はなんだろう。
 僕は一瞬だけ考えた。その人はそれを終わらせたから「イタかった人」という称号を得たようだが、それで言うなら僕は現在にも至る「イタい人」だ。
 こちとら常に黒歴史の生成中ですよ、と返答しようとしたところ、その前に「お前にはないか」と断言された。お前は芸術系だから、何かを人前へ出すにしてもそれが個人の表現として評価されるだろ、みたいな事を言われた。僕にも弁論の余地が欲しかった。
 評価される以外で人前へ出てもそれはイタくないだろとか、そもそも人前へ出る事はイタいとかじゃないでしょうとか、貴方のそれも芸術の内だとか、思った。
 その人の中での当時の僕は多分、いつも屋内で絵を描いていたのだろう。僕は僕で、当時のその人がステージライトに照らされた姿を見た事はなかった。人間、知っていても見ていない部分はあるものだ。
 だから、昔の自分の事を別人みたいに思う時は僕もある、と返しておいた。「そうか」と言われた。そうだよ、お前だけが特別だと思うなよ。お前だけが恥じるな、僕も今の自分を後で恥じなきゃいけなくなるだろ。(そうとは限らないし、そうなったところで誰も悪くはない)
 因みに、僕の黒歴史について後で真面目に考えてみたのだが、その人の言う「イタかった」とか忘れたいとか恥ずかしいとかに相当する自分史なら、やはり僕にもある。しかし、僕はそれを黒歴史と呼んだり過去だと区切ったりしていない。多分、今の僕はあの頃の自分からまだ成長できていないのだろう。

 その話は最終、じゃあそれは貴方が50代ぐらいになった時に再開するって事で、と僕から一方的に片を付けた。すると、その人からは「無いよ」と返された。無いらしい。有ってもいいだろうにな。

 その日、勝手に他人の黒歴史を掘り返した事は申し訳なかったと思っている。ただ実際に、当時の僕はその人ほど自分の趣味を貫いて過ごしていなくて、貫いていたその人が羨ましく思えていた。
 そしてまた、そういう過去を持って大人になったその人へ、こうして羨望を向けてしまったのだ。当時に頂いたピックも未だに取ってある、という事も思い出してしまった。随分と丸くなりやがって……などと、僕は奥歯を軋らせている。

 僕には黒く見えない歴史だ。どうか全ては塗り潰さず、斜線ぐらいの「黒」であれ、と思う。