トマト

 トマトが好きな僕へ。
 どうか気を悪くしないでほしい。
 僕は今、空いた手で小さなトマトを頬張り尽くしてしまったが、あの黒色のことを考えている。あの黒色を思いながら食べるトマトは、一段と味わい深かった。


 立春が過ぎ去ったあの日、冷蔵庫の中で傷んだトマトを発見した。赤色に一部、黒色の線が入っていた。柔らかいトマトにひびが入っていたのだ。

 そのあと、誰にも見つからないようそのトマトを手に取り、こそこそと自室へ急いだ。
 じっくり観察してみると、その黒色は深くまで浸透しているようだった。他にも、茶色の短い線が数本あった。
「だめか」
 それ以外は問題なさそうだったが、食べることは難しそうだ。勿体なくて捨てようにも捨てられない。

 仕方がない、自室へと連れてきてしまった責任は僕が取ろう。僕はそのトマトをインテリア兼バイオサイエンスの象徴として、部屋の棚に飾ることにした。見つけてしまったからには、僕が最期まで見届けてやりたい。そう思った。


 トマトを自室へ連れ込んだことも忘れ、春分の日が過ぎた。トマトと僕との間には、春一番も吹き込まなかった。
 ふと気づいて、トマトを確認した。少しずつ暖かくなってきているからか、トマトは治療寸前の虫歯のような状態だった。へたの部分が枯れ、前よりも黒色が増えていた。
「まだ赤いな、元気か」
 問いかけても返事はない。当然だ。
 角度を変えて見てみると、少し平たくなっているような気がした。もう食べられそうにないトマトの姿に、僕は大きな喪失感を抱いた。


 各地で桜が咲き、既に散り始めている地域もあると聞くようになった。冬の寒さを忘れてしまった僕は、トマトのことは忘れていなかった。
 外から帰ってきたあとで、僕は自室のトマトを確認した。
 しかし、トマトを見つけられなかった。部屋の灯りをつけ、もう一度、棚の上を確認する。
「え……」
 僕は驚いた。トマトが真っ黒になっていたのだ。
 触ってしまえば、今にも形を崩してしまいそうだった。その時点では表面の張りが一切なくなり、水っぽさも感じられなくなっていた。棚の色とほぼ同化している。
 その黒色をあのトマトだとは思えなかった。

 しかし、僕は諦めなかった。まだ形がある。このインテリア兼バイオサイエンスの象徴は、存命だ。僕は観察を続行した。


 そして先日。部屋に朝の光が差していた。植物が光合成をおこなうように、人間も日光浴をおこなったほうがいいと聞いたことがある。天気がいいならどこかへ出かけようか、そう思ったときだった。トマトのことを思い出したのだ。
 僕は棚のほうへと近づき、いつもの場所を見てみた。

 トマトだった黒色は縮んでいた。そして、見るからに乾いていたため、指で掴んでみた。
「……硬い」
 それは、例えるならヘチマのたわしのような触り心地だった。軽くて、硬い。
 よく観察すると、傷んだ裂け目が重力によって広がり、内側の果肉だった部分の水分が蒸発し、表面の張りがなくなり、皮の部分が縮まっている、ということが分かった。それから、置いたままでは見えていなかった部分が、薄茶色をしていた。簡単に言えば、剥き出しになった果肉や皮が酸化して黒く見え、水分が蒸発して縮むのだろう。まあ、僕はそういうことを専門的に学んでいないため、この考察が正しくない可能性がある。一般人の考察としてご容赦いただこう。


 さて、ここで問題だ。
 このトマトには、これ以上の変化があるだろうか。

 僕はどこまで、この朽ちゆく黒色の観察を楽しんでいられるのだろうか。

 僕も、朽ちゆくときはこの黒色のように、誰かから半ば好奇じみた目で看取られるのだろうか。

 物体は、どうあることが無機で、どうあることが有機なのだろうか。

 死とは、何を定義に認められるのだろうか。

 生とは、どう証明するものなのだろうか。


 返事のない黒色へ問いかけても、その答えは黒色からは教われない。

 今の黒色が黒色としてどうあるものかを尊重したいのに、答えが聞けないのは少し歯痒い。まあ、答えが聞けたとしても、尊重より何より、喋る黒色に驚いてしまいそうではあるが。


 また思い出したときに、黒色のことを確認しよう。その訣別は今じゃなくてもいい。