罪悪の連鎖

自分の子どもを持つことが、怖くて気持ち悪くて、絶対に将来子どもは産まないと、ずっと昔から心に決めている。
結婚もしないし、誰かと付き合うことすらないのだから、無縁な話だと、避けていた。
彼氏ができるなんて想定外だ。
やっぱり結婚はしたくないし、子どもも欲しくない。
それでも、最近は彼と未来を共にする人生を思い描けるようになったし、いつかはどちらも経験するのかもしれないと、感じるようになった。

「生まれてきてごめんなさい」
生きるという行為が上手にできない
期待に応えた道を進めない
人間として大切な情が欠けている
親に欠陥品と言われてしまうような、そんな自分が嫌で申し訳なくて生まれてきたことをひたすらに謝ってもどうにもならない罪悪感。
生きているだけで罪なのだ。
私みたいなダメな生き物は、生まれて来るべきではなかった。
何かしら、実績を上げなければ生きている価値がないという焦燥感。
何もできない自分は無価値だ。
何者にもなれない私は、存在していてはいけない。

本当は、こんな駄文をネット上に公開する資格もないし、クズな私の文章は誰かを不快にするだけで、何の役にも立たない。
自己満足で文字を並べて、自己満足で公開して、自己満足で世間に醜いものを晒していく。
最低で、最悪で、早く生きるのをやめてしまえばいい。

生きているだけで迷惑で、死んだって迷惑なんだから、最初から存在しなければよかったのに。
そう思いながら生きてきた私が、新たな生命をこの世に誕生させたいわけがない。
そんな無責任なことはできない。
世のカップルは、何を思って、何に自信があって、子どもを作るのか。
恐ろしい、怖い、意味が分からない。

人生に最適解なんてなくて、できるとかできないとか、そういうのは個性だよ
大丈夫、あなたも誰かに必要とされているのだから
そんな言葉で気が楽になるなら、それは幸せだ。
自己否定をこじらせた生き物にとって、それらの言葉は「言わせてしまったきれいごと」でしかない。
私のようなクズに対してかける言葉がない故に、そんなきれいごとを言わせてしまったのである。
無理をさせた、困らせた、不快感を与えてしまった
誰かにこんな感情を吐露したところで、より自分の不要さを実感するだけだ。

不幸に浸っているだけなのか。
きっと精神的に元気な人からすれば、こんな考え方は、「悲劇のヒロインぶりたいだけの自己満足」に見えるのだろう。
私だって、精神的に元気な時にひたすら鬱な自分を振り返ると、そう思う。
辛いとか苦しいとか、そんなことを表出する資格すらないくせに、日記にもTwitterにもnoteにも、私はこんな文章を綴っていく。
結局は、自己満足なんでしょ。不幸自慢みたいなもの。
辞めればいいのに。他人を不快にするとわかっているなら、すべて辞めてしまえばいい。他人の目に触れるツールなんて不必要じゃないか。
それなのに辞めない私は、我儘で図太くて無神経で自己中心的で、やっぱり最低なんだ。

ふとした瞬間にこんな風に鬱になって、涙が止まらなくなる私が、子育てなんてできるわけがない。
自分の精神も満足に育てられない私が、他人を育てるなんて、無理に決まっている。
新しい生命を背負う責任なんて、少しも持ち合わせてない。

何の苦労もなく勉強ができてしまった私は、きっと子どもの成績が悪ければ、できないという感覚が理解できず自分の常識を押し付けてしまう。
「オール5なんて当たり前でしょう?」
母親に言われたことがある。
私はきっと、同じことを言ってしまう。

科学雑誌を読ませるだろうし、英語教育もするだろうし、スポーツもひとつは習わせるだろう。
普通科高校に進学させて、総合大学を推す。(いや、大学は、微妙かもしれない。)
そうやって、エゴを押し付けて、自分のクズ同然の人生を、子どもにも歩ませるんだと思う。
「ああ、これができない私には、生きる価値がない」
「これをこなせない私は、生まれてくるべきでなかった」
私は、自分の子どもにも同じ思いをさせるに違いない。

わかっているなら気を付ければいいだけだ。
そうかもしれない。
でも、気を付ければ何とかなるなんて、そんな軽い気持ちで負っていい責任ではない。

生まれてきたことを後悔したことはあっても、生まれてきたことに感謝したことはない。
楽しいことや嬉しいことだって、「生まれる」「生まれない」の選択時点に戻れるならば、「生まれない」を選択して、経験しない分岐先を選びたい。
どんなにハッピーな出来事だって、「生まれなくていい」こと以上にはなり得ない。

自分のネガティブさは不快なほどに異常だと、自分を観察する自分がいる。
冷静に冷酷に自分を見下ろす自分自身。私はいったい何人いるのか。
どうしてこんなにも分裂してしまうのか。
感情ごとに違う人間で、人格で、全てがばらけている。

何の生産性もない、卑屈で鬱で苦しいだけの人生を、誰かにプレゼントしたいなんて思えない。
私は、子どもが怖い。
無邪気な笑顔の赤ちゃんが、この先、生きることは苦しいと発見して、同じような醜い感情を抱えるのではないかと思うと、人間に生まれさせてしまってごめんねと、自分が産んだわけでもないのに考えてしまう。

親になれるほど、親で在れるほど、心が成長していない私には、子どもを産むことはできない。
出産可能な年齢の間に、大人になることはできるのだろうか。


生理前の早朝。苦しくなって、書きなぐった。
誰にも読まれなくていい、読まれない方がいい、自己満足。
今日も、生きるのは大変そうだ。

私の価値観に、価値を見出してくださりありがとうございます。