田山花袋『インキ壺』、正宗白鳥『何処へ』雑感

田山花袋という人も、『蒲団』のことばかり言われて思えば気の毒な人だ。『インキ壺』をぱらぱらと読んでそう思った。花袋のことは彼の文壇仲間と後世の評論家を通じて知っていたばかりで実際読むのは今度が初めてである。例えば正宗白鳥は人柄を褒めるばかりであまり作品のことは言わない、岩野泡鳴は花袋の主観を排斥するやり方を批判する、中村光夫等の後世の人は『蒲団』の影響を強調する、といった具合で、そういうものだけから考えられる花袋は、文芸を愛し、社会のこと他人のことにあまり関心を持たず、『蒲団』で影響を及ぼし、しかしそれ以上に発展を見せられずに落ちぶれた人、一言で言うと文章と感性と人柄は優れていたが狭量で呑気であまり知的でない人という印象である。実際島崎藤村、正宗白鳥、岩野泡鳴、徳田秋声らと比較すると、思想の上でも文章の上でも魅力に欠けるのだと思う。だが彼にも独特の魅力があることが感じられた。この『インキ壺』は『蒲団』の後、三部作といわれる『生』『妻』『縁』、『田舎教師』、『一兵卒』等の諸編を書く傍らで連載した短い評論を集めたもの、だから初期評論集である。これを読むと、中村光夫らから聞かされるほどには、自分の思想への反省がないのでもないし、また泡鳴が強く批判するほど泡鳴と意見が違うのでもないことが分かる(泡鳴の批判そのものについては、花袋の小説をちゃんと読まなければ判断できないけれども)。論文「露骨なる描写」などは焦って不器用になってしまったのか、ちょいと興醒めなところがあったけれど、『インキ壺』は短いのがたくさんあるおかげで、説明不足を補い合うようなところがあって面白く読める。思想らしい思想を持っていないが、それが分かって読めば面白いものである。
尾崎紅葉が、「事実でなくても事実らしいことを書け、事実でも事実らしくなければ書くな」という意味のことを言ったのに対して「事実らしくなくても事実なら書け、事実らしくとも事実でなければ書くな」ともじったという話を、中村光夫が引いて、真実と事実、トゥルースとファクトを混同しているというように評していて花袋はなんてつまらないやつだろうと決めつけていたところが、『インキ壺』を読むと、そのもじりの意味はどうかといえば、事実が事実らしくないのはそれをよく見ないせいで、さらに言えば既成道徳や慣習のような尺度を先に持ってきて独断的な眼鏡を通して見ているせいなのだ、そういう眼鏡を外して事実をよく見れば、なあんだ別に不自然でもなんでもないじゃないかと知れるのだ、だから最初不自然に感じても事実なら書きたまえ、という意味で、出来上がった尺度で世界を切り刻むのをやめようという所に力点があるわけだから、中村光夫のような解釈はこじつけに見えてくる。こういう考えの人が思想らしい思想を評論の上でも作品の上でも出してこないのは当たり前で、思想らしい思想というのはやっぱりそれらしい尺度を備えないわけにはいかないから尺度を用いず具体的な経験そのものを捉えようとすれば無思想になる。ただしもちろん、花袋がこの反思想という思想を小説の上で満足に成功できたかどうか、即ち作品の良し悪しは、この思想の良し悪しとは自ずから別である。
花袋は「作者の主観からくる色彩は成たけ没し去りたい」とか「色彩なき色彩──主観を没せる主観」とかはっきり言っている。ここが花袋の弱点でもあるらしく、泡鳴などはこの考えが気に食わぬようである。実際難しいものだと思う。この考えをつまらぬ、無理を試みることだと見るか、面白く感じるかは人それぞれではないか。しかしとにかく花袋はこういう考えを持っていた。そしてこの考えに従えば書くもののいちいちについて断定してはならないことになり、結果として作品の世界がぼんやりと曖昧になってしまうことをも彼は知っていて受け入れているのである。それに『インク壺』や続く『卓上語』を覗くに、主観の判断を加えずに自然にあるがままを描くという彼の理想が、かつて達成されたことも、いつか達成されることもない理想だということを彼は知っていたようだ。彼の創作を読んでみると、果たして無私の境地が余すところなく展開されているわけもなく、どうしようもなく自己の思想を夢見続けた時代の子である。花袋の作の興味はだから不可能な理想を不可能と知りながら追わずにはいられなかった男の悲哀にあるのではないか。いかにも愛らしい男である。この興味を知るには是非とも『インク壺』は欠かせない。
まだ少しぱらぱらしただけだが思っただけを書いてみた。いま書店に行っても花袋は置いているかどうか。花袋の小説など下品で面白くもなさそうだから遠慮するけれども評論や何かならちょいと覗いてみようかしらんという私の仲間もいないことはなかろう。『インキ壺』でなくとも『東京の三十年』は昔岩波文庫にあったようだから、これも復刊されないものだろうか。

正宗白鳥の『何処へ』についても書いておきたい。「インキ壺」の連載期に出たものである。明治41(1908)年のもので、デビュー間もない白鳥の名声を確固たるものにした一作だという。同年発表された鏡花『草迷宮』、四迷『平凡』、藤村『春』、花袋『生』『妻』、漱石『夢十夜』『三四郎』、荷風『あめりか物語』、秋声『新世帯』などの中にあって藤村『春』とならぶその年の最高傑作とまで言われたらしい。しかし変な題ではないか。白鳥の作には『人を殺したが…』とか『悦しがらせる』のような忘れさせない題が多い。だいたい正宗白鳥という名前からしてどっちが名だか分からないし、友人らの回想を読むとリュックサックを逆さに背負って平気でいるなど普段の振る舞いまで変人だったという。白鳥は何より随筆と評論で名高く、創作よりもそちらが良いというのが白鳥自身含めての定評になっている。『文壇的自叙伝』『自然主義盛衰史』「思想・無思想」小林秀雄との「思想と実生活」論争などどれもおもしろく、人柄も浮かぶようであったが、『何処へ』を読んで割合はっきりとその姿が見えるようになったと思う。無理想・無解決という標語がまざまざと見せつけられるようである。また、虚無主義とか懐疑主義とかの特徴付けが役に立たないことも分かるし、彼が批評家として優れていることも分かる。『自然主義盛衰史』では、自然主義の代表的作品として、藤村の『家』の他に長塚節の『土』と鷗外の『渋江抽斎』を挙げている。藤村と泡鳴のような対立しそうな人格をうまく捌くのみならず、ダンテの『神曲』や聖書を愛読したり、自然主義に馴染まなそうな作家を自在に批評する。そういう囚われない自在さ、懐の広さを持っていることと、文学の理想もなく、書きたいと思って書いたこともなく、したがって自分の作に愛着もなく、文学は絵空事であると言う冷めた態度とはいわばコインの表裏の関係で、そのコインを描いているのが『何処へ』だという気がする。この作には三人の男が出てきて、家庭のために献身する実際家と、哲学的理想を負う夢想家と、世間の常識に馴染もうとするでもなくアウトサイダーとして批判精神を磨くでもない遊び人の主人公という関係から、主人公が無理想・無解決というとき、その意味が浮かび上がってくる。何の理想か、何の解決かというと、如何に生くべきかである。如何に生くべきかという問いに、積極的に答えを与えようとしないというのが、無理想・無解決ということの意味であるように思う。無理想・無解決というからにはそれでも、問いは無ければならない。だからこの態度は問いを問いのまま保ち続けることでもある。そうして問いだけを保持して答えを期待しないから囚われのない自在さが備わりもし、投げやりに見えもする。白鳥の随筆や評論はたしかに面白いけれど、面白さがよくわかるにはコツがいる。『何処へ』はそのコツを掴むのに丁度いい。もちろん話も文章も退屈させない。

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