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ジョナサン・ノットの『エレクトラ』

  今回はジョナサン・ノット指揮、東京交響楽団の『エレクトラ』について書きたいと思います。昨年の『サロメ』の評判が非常に良かったので、(音楽の友の2022年のベストコンサートに選出されました。)ぜひ一度聴いてみたいと思い、5月12日ミューザ川崎でのコンサートを聴いてきました。昨年の『サロメ』に続き『エレクトラ』という選曲も尖っていて興味深く感じました。昭和平成のクラシック音楽評論の第一人者である吉田秀和はR・シュトラウスのオペラについて以下のように述べています。

  私なども、ヨーロッパに行くまでは、恥ずかしい話ながら、シュトラウスのオペラの占めている位置は、まるで予感さえしていなかったといっていい。逆にいえば、ドイツ、オーストリアの近代の作曲家で、彼ほど、オペラのレパートリーにちゃんとのこっている曲をいくつもかいた人はほかにいない。そのあとは、今のところ、ベルクのヴォツエックぐらいのものである。

     そのオペラからゆくと、まず、『サロメ』か『エレクトラ』ということになろう。この二曲、ともに和声の複雑と管弦楽の効果、旋律の豊かさと表現のどぎつさ、内容のサド、マゾヒスティックな趣向などの点で共通しているから、どちらか一曲あればよいということがいえよう。そうして、その意味で『サロメ』に比べ『エレクトラ』は二番煎じだという人もあるが、私個人としては、劇的な凄愴味という点だけでなく、音響の新しさと表現の突然の変化の強い対照という意味で『エレクトラ』のほうをより高く評価する。(中略)台本をよんでみればワイルドによる『サロメ』より、ホフマンスタールによる『エレクトラ』のほうが、私にはおもしろい。(中略)つぎに、やはり、『ばらの騎士』をあげないわけにはゆくまい。この一作で、シュトラウスは、現代音楽へつながるきずなを、自分からたちきってしまった。『エレクトラ』の表現主義であれほど大胆な作風を示し、ほとんど自由な無調の間際までいった彼は、有名な「音楽に帰ろう」というモットーでもって、擬古典=擬モーツアルト趣味に逆行した。

『 名曲三00選 吉田秀和 ちくま文庫 2009年』

  イギリス人指揮者のノットはケンブリッジ大学で音楽学を専攻したインテリであり、ワインヤード型のホールで上演された演奏会形式による上演は、シェークスピアの演劇を見ているような趣があると感じました。
 P席で観たのですが、通常のオペラ上演では見ることができない指揮者を正面からみることができ、ノットの知的で、シャープでありながらドラマチックな音楽づくりに長けた雄弁な指揮を堪能することができました。コンサート評やSNSなどではタイトルロールのソプラノのガーキーの歌唱・声量に関する称賛の声で溢れていましたが、P席に対しては背を向けて歌う形になるため、正面で聴くよりも若干聴こえる声量は落ちていたかもしれませんが、全く気にはなりませんでした。P席だと字幕が見れないのではと心配していたのですが、こちらから観て正面3階席あたりに字幕のパネルが設置されており、セリフを追いながら鑑賞することができ目の前で展開されるギリシャ悲劇の世界に没入できました。

  全曲を通じて凄絶な音楽が支配しており、ギリシャ悲劇の復讐劇を心理劇としてリアルに表現していたと思います。父親の非業の死、その犯人が不貞を犯した母親とその愛人という救いようのない状況で、復讐に燃えるエレクトラの悲壮感、絶望感と母であり仇であるクリテムネストラの不安と恐怖、人なみの幸せを願う妹クリソテミスの感情が対話劇を通じて交錯します。時折り後年作曲される『ばらの騎士』を想起せる美しい旋律が聴こえ、後年の作品の成熟の萌芽を感じました。『エレクトラ』はホフマンスタールの台本によるものであり、この後、『ばらの騎士』『ナクソス島のアリアドネ』『影のない女』などの作品を残しており、モーツアルトにとってのダ・ポンテのように、R・シュトラウスにとってはなくてはならないかけがえのない存在となっていきました。『ばらの騎士』は『フィガロの結婚』、『影のない女』は『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』の影響を受けていると言われており、『ナクソス島のアリアドネ』の作曲家はモーツアルトがモデルと言われています。シュトラウスはこの作品を最後に、無調間際の凄絶で救いようのない前衛的で過激な音楽からモーツアルト的な穏やかで美しい古典派的な音楽へと回帰していきました。

   後半、死んでいたはずの弟オレストとの再会あたりから復讐の成就に向けて希望の光が差し、ノットのタクトは、復讐を遂げたエレクトラのつかの間の恍惚と歓喜、そしてそれはやがて絶望となり、狂気の踊りのさなかに力尽きる様を余すところなく描き切っており、ドラマチックで圧倒的なクライマックスを築きました。曲が終わった瞬間、舞台照明がパット落とされ、暗闇の中でしばしの沈黙の中、悲劇の余韻に浸っていると、やがて照明が灯され割れんばかりの拍手とブラボーの嵐が沸き起こりました。歌手陣も世界の一流の歌劇場やバイロイトで活躍する豪華な顔ぶれであり、特に『エレクトラ』が当たり役のガーキーの歓喜と絶望といった人間のさまざまな心情を雄弁に表現した歌唱をはじめ、この凄絶な悲劇の中で唯一安らぎを与えてくれる妹クリソテミス役のウォレスの美しい歌唱、そして、クリテムネストラ役のシュヴァルツはとても80代とは思えぬ熟練の歌唱を示し素晴らしかったと思います。また、P席で聴いていると客席後方での歌唱がヴィヴィドに伝わってきて全方位から音楽に浸ることができ、このギリシャ悲劇の目撃者としてまさに自分が劇中にいると錯覚するような臨場感は初めて経験したものでした。

   演奏会形式のオペラには懐疑的だったのですが、今回の演奏は、通常のオペラの上演では(オーケストラピットに入っているため)見ることができないR・シュトラウスの大編成の管弦楽の偉容を目のあたりにし、舞台装置のない余分なものがそぎ落とされた心理劇にスポットライトがあてられたギリシャ悲劇の演劇を鑑賞するというまれな芸術鑑賞を体験できました。東京交響楽団も上演されることが少ないこの起伏に富んだ難曲をノットのタクトに導かれて精緻で多彩な表現で答えており素晴らしかったと思います。個人的にはこの演奏会形式での『ばらの騎士』の上演も聴いてみたいと思いました。

   参考文献
名曲三00選 吉田秀和 ちくま文庫 2009年
スタンダード・オペラ鑑賞ブック[3] ドイツ・オペラ(上) 音楽之友社 2000年


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