ポケモンとの思い出話

自分語り。

なんだか面白い記事を見かけた。
私の推しポケはゲンガーとブイズとライチュウ。

私が始めてポケモンに出会ったのは小学校1年生のとき。
ゲームボーイポケットを買ってもらったもののカセットがなく、何も出来ずにいたがその年の誕生日に通っていたそろばん教室の先生が忘れ物のポケモン緑をくれたのが始まりだ。
今考えると忘れ物で取りに来なかったとはいえ人のものを勝手にあげていいのかと思うがもう時効だと思いたい。

家に帰ってからのほとんど時間をポケモンに費やしていた。お小遣いの大半は単四電池になった。
アニメも毎週ずっと見ていた。ピカチュ…ポリゴンショックのときもリアルタイムで見ていたが何も問題なかったしその後の学級王ヤマザキを経て復活した後もビデオに録画し、楽しみながら見ていた。
人生で初めて泣いた映画はミュウツーの逆襲だ。

小学校4年生の時ポケモン金銀が発売され、当時の友達とその話題で持ちきりだった。初めて自分でゲームを買ったのはポケモン金。お年玉を使ったことに母は激おこぷんぷんしていたがその悲しみもポケモンが癒してくれた。

しかしその後少しずつポケモンから離れ始め、中学生で腐に目覚めたオタク友達からジャンプ漫画を布教され、気づくと自分も脳みそが腐っていた。
その後は腐女子、夢女子、ジャニオタ、バンギャを経てどうしようもないオタクへとなっていた私だったが、大学2年生の時、ポケモンと再会した。

同じゼミだった友達が偶然DSでソウルシルバーをやっていたのだ。
久しぶりに見たポケモンたちは相変わらず可愛くてその日の帰りに駅前のビックカメラでDSとハートゴールドを買った。
それから毎日ポケウォーカーにお気に入りのポケモンを入れて歩いたり、バイト以外の時間はほぼDSとにらめっこしていた。
たまごの厳選やら努力値やら今まで知らなかった遊び方をはじめたのもこのとき。
バイト代が入るとポケモンセンターに行き、推しポケのぬいぐるみやグッズを買うのが楽しみだった。
大学の講義中に通信すると自分達以外にも何人かポケモンをやっている人がいて隣の友達と笑いあったのはいい思い出だ。

その後ブラックホワイト、ブラック2ホワイト2まではプレイしていたが社会人になり、外回りの休憩中にポケモンセンターで精神を回復させてはいたがそれ以外だとなかなか時間が取れなくて自然とゲームをやらなくなってしまった。
今では通勤中や散歩中にポケモンGOをやるくらいだ。

先日、名探偵ピカチュウ(字幕版)を見た。
色々細かいネタに笑い、知らなかったポケモンもいて新しさも感じた。
実家の押入れのどこかにあるのかなぁ、ポケットピカチュウ…
吹替版ではコダックがアニメ版と同じ声優さんだったりロケット団の中の人が出ていたりするらしいので吹替も見ようと思う。

振り返ると関わっていない時間があるとはいえ人生の半分以上をポケモンと過ごしてきた。
ポケモンGOにリーフィアとグレイシアも追加されたことだしポケットの中にファンタジーをつめてまた風と一緒に歩き出したい。

思ったこと、考えたことの吐き出し。