見出し画像

#13 【40代からの日向坂46】ユニット曲のススメ〜カオス上等、考えるな!感じろ!

このnoteは40代半ばにして、人生で初めてアイドルに興味を持ち、まんまと日向坂46のファンになってしまったオッサンの「推し活」の日々を記録したものです。

まさかの、2回続けての緊急登板、予定外の記事になります。先日、以下の
シンプルにすごい記事が投稿されまして、僕も心から感心、得心いたしました。(心の三連投)

早速、僭越ながら感想などコメントさせてもらおうと思って、思案に入ったのですが、元記事のクオリティがクオリティなだけに、考えることも思い浮かぶことも多すぎて、さらに幅も広がってしまうし、どうしたものかと散々悩んだ挙げ句、再び撮って出しで記事にしてしまえと。鮮度重視で書かせていただきます。

ここで、いつも楽しく見させていただいている先達のツイートです。

お言葉に甘えて、『これから』について書かれた『気になっていること』以降をメインで触れさせていただきます。

次の「目標」について

元記事と順番が逆になってしまいますが、グループの目標についてです。最初の目標であった「東京ドーム」が達成されて以降、グループ全体で統一された目標がまだはっきりしていないよね、という指摘でした。たしかに、一期生から「ドームツアー」「国立競技場」というキーワードが出てきていますが、広く全体に統一されたものにはなっていないようです。

元記事の著者である「なめたけ46」さんが述べられているように、前回同様の「規模の拡大」が次の目標として浸透しにくいのは、たしかにそのとおりだなと思いました。さらに言うと、アイドルにおける「次の目標」ってめちゃくちゃ難しいなと。ここでの振る舞い方を失敗すると、活動の勢いがすごく削がれてしまう気がします。例えば、スポーツやビジネスの世界においては、言うまでもなく目標とは達成可能な具体的、定量的なものであることが望ましく、できれば細かい単位で継続的に目標を達成し続けることで、より大きな成長に繋げることが有力なメソッドとされています。ただ、「ゴールのある数値目標」は、その都度、「終わる」のです。アイドルの活動において、「終わり」を迎える目標の設定は非常にセンシティブで、リスクを伴うものだと感じています。実際に、「東京ドーム」という目標を達成した日向坂46がそのとき迎えた状況は少し、危ういものだったのではないでしょうか。(すいません、僕そのときまだ日向坂に出会ってませんでした。。)

その意味で、「なめたけ46」さんのいう「表現の広がり」を観点とした目標設定という提案は、傾聴に値するものですが、いかんせんそれ自体の「表現」が難しそう・・!ただ、やはり僕としても、本来は上手な目標設定ではないのですが、少しニュアンス含みというか、定性的な観点を交えた「目標」で味付けしてほしいなと思っています。運営のマネジメントの見せ所です!

ただ、かとしが、、、としちゃんが「ドームツアー」って「国立競技場」って言うなら!僕は全力で応援します!そのあとのことは考えない!

グループのアイデンティティ

今こそ「新しい日向坂の発見」のためにグループのアイデンティティに向き合う、まさにその通りだと思います。グループが一つのサイクルを終えて、次のステージに向かっていることは紛れもない事実だと思います。元記事において、ここでもいくつかの選択肢、方法論が提示されています。僕個人の考えとしては、やはりそれは「ハッピーオーラ」という言葉が示すものであってほしいと思いますし、「なめたけ46」さんが仰るようにそれは「一期生」がこれまで培ってきた日向坂46の文化であり、雰囲気、特性であろうと思います。それをぜひ、抽出・洗練する形で継続してほしいと思うのですが、そこにおいて少し個人的な考えがあります。

エンタメにおける「言語化」の功罪

それは、「言語化」にこだわらないでほしいなということです。ちょっと前項から同じような論理展開になって恐縮ですが、主にビジネス用語である「言語化」ですが、物事の説明、伝達において今や必須のテーマであり、できるビジネスマンの最重要スキルの一つです。コンサル業界などにおいては、「言語化できないものは存在しないものと同義」と言えるでしょう。しかし、それがエンタメや芸術の世界ではどうでしょうか。言語化できないものにこそ、本当の価値や美しさがあるという言説は決して無視できないと思っています。事実、僕が経験した初めてのライブである「四回目のひな誕祭」、あの感動、素晴らしさは決して100%言語化できるものではないですし、「イッキサン」の持つエモーショナルな存在感、あれも言語化できない!今この瞬間も書けないのですよ。

「言語化」はその性質上、どうしても「単純化」と「切り捨て」を内包しています。しかし、エンタメや芸術の核になる部分は往々にして言語化できないノンバーバルな魅力として現れてくるものです。言語化できない余白や行間は、そのまま各演者の個性や伸びしろの表現にも繋がってきます。

四期生は「日向坂の未来」だ

さて、それで終わってしまっては、ただの言葉遊びで、何もお前の意見がないじゃないかと言われてしまいます。元記事の中でも、「あえて言語化しないことになるのかもしれません」と触れられていますので、「ハッピーオーラ」や「一期生らしさ」をあえてこれ以上言語化しないで、日向坂46のアイデンティティとして再定義していく方法論を考えてみます。

あ、すいません、本記事のタイトルに書いてました。「ユニット曲のススメ〜カオス上等、考えるな!感じろ!」です!古来より、偉そうな人たちは言ったものです。「身体で覚えろ」「見て盗め」そして「考えるな!感じろ!」と。

実は「なめたけ46」さんも、元記事のコメント欄でこのように触れられています。

個人的には「混沌」と「秩序」が共存してそのバランスが面白いグループなのかもと少し思ってますが、シングルを追うごとに秩序に寄り気味な表現になっちゃってるのかも、と薄っすら感じてます。

今の日向坂46に感じる「2回目の滑走期間」 〜定量・定性の両観点から〜

勝負の年と言われる今年、後半戦はパフォーマンス、楽曲の面においても、ぜひ四期生を一、二、三期生の中にぶちこんで欲しいです。すでに、これまでの世代ではあり得なかった速度で、先輩たちとの交流を深め、またそれに呼応する形で三期生を中心に先輩たちからのリアクションも見られつつあります。まだ、そこに至っていないメンバーたちも、絶対に化学反応が起きるに決まっている組み合わせが多数観測されています。

ひょっとしたら、他の坂道グループでの先例や合わせるべき歩調のようなものがあるかもしれないですが、ここは一つ、そこに大きく先陣を切る形で、日向坂46において世代の壁を取っ払った意図的な仕掛けを見たいです。願わくば、それによってユニット曲を複数作って欲しい!個性と魅力に溢れた四期生が媒介となることで、「一期生」の特性がコアとなって育ってきた日向坂46のこれまでのアイデンティティをさらに浸透させ、深化させる。そしてそれが「新しい日向坂の発見」に繋がってくれたら最高なんじゃないかなと思いました。

そういう意味では、これはグループの目標とは少し違うかも知れませんが、単純に見てみたい展開として、期別の垣根を無くしたユニット曲の制作の行く先にある、一期生から四期生まで全メンバーを対象とした同列の2チームによる両A面シングルの発売、これは個人的にファンとしてぜひ見てみたい夢のひとつだなと思っています。

まとめ

書きなぐったのでまとまりません。最後にちょっと思い出したのが、影山優佳さんが話してくれた「円陣」のことです。アイデンティティにしろ、目標にしろ、何かそれはあの「円陣」に繋がるものであってくれたらうれしいなと思いました。

正直、10thシングルのフォーメーション発表の日に書くことじゃなかったなあとは思ってます。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?