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まず私が気付く、変わる、本気で

ここ数ヶ月、久しぶりに度々実家を往復している。

父に「自分自身で病と向き合う」「残された時間を少しでも気持ちよく幸せに生きる」ことに気付いてほしくて、色々やってみたけれど、なんだか空回りしている気がして、昨日はさすがに落ち込んだ。

確かに、私の驕りでありエゴだ。

「病気は今までの自分を変えたり、何か大事なことに気付くチャンス」

と私は自分が絶不調の時に、服部みれいさんの本で教えてもらった。

本当にそうだった。

でも、この気付きは、あくまで本人が自発的に本人のタイミングで気付くもので、生意気な娘の話を聞いて気付くようなことではないんだ、きっと。

私が人間としてもっと成熟していて聡明で上手に伝えることに長けていたなら、もう少し上手く良きタイミングで父の耳にそっと入るような伝え方ができたのかもしれない。

あーもどかしいけれど、これも私の傲慢なんだ。。

父の病は、私の気付きのチャンスでもある。

この2年間、うんざりするほど私が自分の嫌な側面を両親が私に見せてくれていて、もういよいよ私も受け入れるしかない。という感じ。

両親のことが大好きだし、感謝しているのに、嫌なところばっかり表に出てきている。しかも命に関わる大事な局面の節々に。

でも両親を否定することはご先祖さまを否定することで、私自身を否定することでもある。だから悲しいし、これは本当は、父の問題じゃなくて、私の問題なんだ。

とにかく、今は私が出来ることをして、本人の自由意志に任せる。

それが、どんなタイミングでもどんな選択でも。

こういう時、アーユルヴェーダのチャラカサンヒターを学んでいて良かったなと思う。

なにより、私自身が起こる現象に対して色々な視点で見れるようになったし、人の病や治療に対しての捉え方を提示してくれていて、辛辣だけれど今の私には本当に救いになる本質的なことを教えてくれている。

チャラカサンヒターは、アーユルヴェーダ関係者でなくても、学びのひとつとして、医療に関わる方や介護に関わる方も学んだらいいな、と思う今日この頃。





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