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ネットで詩を書いている馬鹿の呟き①

最近、人の詩を読む場合は意識して行っていることがあります。それは作品をまずじっくり熟読するという、時間的な空間を必ず設けていることです。それから自分なりの感想や批評をコメントする。何、言ってんだ当たり前だろ? と思われるかもしれない。しかしネットではこの当たり前のことが行われていないように感じる時がある。出された詩作品に対してあまりにも反応が早すぎるように思えるのだ。

どこか発作的に衝動的に、急かされるように投稿された記事に反応しているように感じるのは僕だけだろうか。投稿された詩作品にコメントする場合、

①時間をかけて作品を熟読、②自分の感想や批評を寄せるという二段階の作業を果たして読者は意識してやっているのか。

そのとき読者は作者の人柄を観賞するわけでなく、作者の人間性に感想や批評を寄せるわけでもありません。読者は詩の文芸作品を観賞し、その作品に対する「感想や批評」を行うのです。

ところが、作者の人柄と作品の評価を混同しているのではないかと思えるようなコメントが書かれていることがあります。そのようなコメントはあまりにも文学というものを無視した軽率な応答としか思えません。

どうも今のネット読者はあまりにも情報への反応が早すぎて「人」と「作品」のボーダーラインがつかなくなっているのではないか。

これは僕がネットで詩で書くようになり、二年のうちに幾つかの詩のコミュニティに参加し、時には誘われてみて感じたことでもある。また自分自身が陥りかけた陥穽でもあった。時にはまたはまっているのかもしれない。

そこにこそ僕らは立ち返り、考えてみる必要がある。そうでなければ詩や文学に関するコミュニティは、つまらないお喋り会に堕ちてしまうのではないだろうか。

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