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《雑記》私はやっぱりオジサンだった。

谷村さんの(フルネームで言わないと近所の人みたいだね)「昴」。

谷村さんの声に寄せたバージョンと私の地に合わせた女声バージョンと歌い分けるが、これは谷村さんバージョンの方が圧倒的に歌いやすい。



ついでに歌えるようになった「陽はまた昇る」。

私にはどうしても諸星大二郎の怒々山教授シリーズが頭に浮かんでしまうのだが。



冬晴れの空

流れる煙

風は北風



火葬場を思い出した。

私が小さい頃に亡くなった祖母は古い古い火葬場で焼かれた。

扉を閉めて、ボタンを押すんじゃないの。



マッチで火をつけるの。





あの日は、雨降りだったから。

煙の行方なんて…わたし見てなかったな。



ただひたすら、悲しくて、二度と会えないのもわかってて。

でも、自分より祖父や母の方が辛いだろうから、私に泣く権利はないと必死に涙を堪えて。
(泣けていたんだろうけど…)



そして、少し祖母を羨ましく思い、『なぜ私ではなかったのか!』と心で叫んだ5歳児。









私に向かって私は歌う。

春まだ遠く

哀しむひとよ

貴方を愛す







私は現在、抗うつ剤の投与を拒否っている😅

PTSDにはジプレキサ!の提案にも

「No!!」
ジェスチャーつき。


15歳から30ウン歳まで抗うつ剤を使い続けて、抗うつ剤を抜くときがかなり辛かったから…

お客さんにお料理出すのも一緒に涙まで出そうなくらい辛くて…

仕事上がりには泣きながら退勤した。



長梅雨だったんだよね、その年。

記録的な。


日照時間が足りなさすぎて、自分じゃセロトニンまず追いつかないじゃん?

今思えば、夏になってから抗うつ剤切ればよかったんだよね〜。
何も梅雨入りに切らなくても…

当時の先生に、
「お願いれす
もう無理でふ……二ヶ月も雨降りで…
アモキサンだけでも復活させて…」
泣きついて、我慢しなさいと叱られて…


まぁ、そのとき、❝抗抗うつ剤❞できたわけだけど。

なんか、二の舞いになりそうで今クッソ頑固に抗うつ剤を拒んでおります。

めんどくさい患者。



この抗抗うつ剤のときも

「陽は…陽はまた昇るから…」

「だから…頑張れ…わ…わたし…」

とズルズルとサナダムシみたいに出勤したものだ。

(諸星ファン!覚醒せよ!巨大ネズミ取り!)








夢を削りながら

年老いて ゆくことに

気がついたとき

初めて気づく

空のあおさに




自分でも、本来キーが高くて「子ども声」な方だと自覚はあるのに。


なんで谷村さんの声が出せるんだろう…


ハモるんじゃないもんね。

同じ音程だからさ…



ダブるの。




谷村さんは「歌いやすいメロディー」を作った方なんだよね。

すごくナチュラルに声が伸びるの。


さらば 昴よ



歌いきったときのスッキリ感がね。










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