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旅の記録・記憶

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そのへんに旅した記録や写真をまとめます。
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5月6日、くもり、鵠沼海岸銅像前、セットモモ、オンショア

今年のGWは波がないと諦めていたら、最終日はヒキ一杯の時刻am 9:30ごろに周期が10秒を超えてくるという予報を耳にして、ノコノコとやってきました。 ま、予想はしていたけどオンショアビュンビュンでまとまりにかける風波。それでもなんとか選べば少しは横に行ける波でした。 小波でも遠浅な鵠沼だと、ヒザ波をおじさんたちが奪い合うという絵図が繰り広げられるわけですが、今日のコンディションでは面白みにかけるのか、人の数は多くなく危険度は低かったかな。 5mmのスーツは二年ぶりに装

冬の午後の動物園

思い立ってふらりと動物園に。 動体撮影。 レンズは、70-210mm F/4 Di VC USD(Model A034)。ボディはD850。 動物の瞳AFなんて機能はないけど、動物園なら十分にバッチリ撮れます。 みんなじっとしてるし。冬だし。寒いもんね。 ニホンリスはさすがに動きが速くて苦労しました。ちょっと止まったと思ったらすぐにかなりのスピードで次に動いていきます。 リスの小屋は入れませんでした。最近、大量死があったそうでちょっとかわいそう。 もっと粘って撮り

ハモニカ横丁(ハーモニカ横丁)には住所が無い?

吉祥寺駅の北口の一角を「ハモニカ横丁」もしくは「ハーモニカ横丁」と呼ぶ。戦後の闇市時代から続く商店街。ちょっと雰囲気のあるスナップ写真を撮りたいと思って、日曜日の夕方に久しぶりに行ってきた。 狭い入り組んだ路地なので、長いレンズではなくあえてDXのAF-S DX NIKKOR 55-200mm f/4-5.6G ED VR II。威圧感が無くていい。これを、DXモードではなく1.2倍クロップで使用するといい感じ。 焦点距離が長いので55mm側でもケラレることはなく、周辺減

マイクラ的体験を求めて~大岳鍾乳洞2023~

マイクラに夢中になっている息子が「ツルハシで何かをサイクツしたい」と。 洞窟で鉱石をサイクツしたいのだ。 って、ソコなの? と思いつつ、洞窟は悪くないなと思い、東京で簡単に行ける鍾乳洞を調べると、日原鍾乳洞、三ツ合鍾乳洞、大岳鍾乳洞の3つが。 日原はまぁ有名なので、情報も多い。そして、ライトアップがカラフルなのはちょっとね。 で調べると、三ツ合鍾乳洞は情報量が少ないけど、内容もそれなりっぽい。大岳鍾乳洞は、noteにも2つの記事がありました。 の2つの記事を読んで、

去年の熱海(2021)とスクエア&デジタルクロスプロセス縛り

去年の夏は熱海に行ってきました。2021年と言えば、観光業が全体的にダメージを受けている中に、熱海では土砂崩れがあって、宿泊施設は軒並みキャンセルだらけ。 ついでに言えば、私は骨折が完治せず装具を付けたまま、ぎっくり腰になり、踏んだり蹴ったり。 そんな時だからこそ、いっそのことちょっと高級な旅館で贅沢をしようと企画された家族旅行でした。 窓の奥に見える露天風呂は、家族で入る分には十分なおおきさの石造りの湯舟。この日はとにかく腰が痛くて一眼レフが重たいので、部屋の中の写真は撮

金剛の滝~今熊山。撮影ハイキングのつもりが秘境アドベンチャーになった件

「暗さに宿る美しさ」のようなものが気になる今日この頃。思いつきで地図を調べて近場の滝に出かけてきたけど、思いのほかアドベンチャーだった件です。 薄暗がりの中に光が差す感じとか、ちょっと神秘的・ミステリアスな雰囲気の写真が撮りたくて・・・「そうだ、滝に行こう」と思いつき、奥多摩方面の地図を眺めたところ目に飛び込んできた「金剛の滝」。アクセス方法も難しくなく、情報が少なめなので人気もなさそう。 ということでやってきました、広徳寺(廣徳寺)。ここをスタートに設定して、左手の小道

ブドウ畑でつかまえて

世界のブドウ畑の8割が醸造用(つまりワイン)のために作られるらしい。果物として食べるのは1割程度。残りは加工用。 日本では逆に食べるためのブドウ畑が多いのですが、山梨にはやはりワイン用のブドウ畑(ヴィンヤード)があります。 そこに旅行にいってきました。こういうのをアグリツーリズムというらしいです。日本語で言うなら農泊?(いや、滞在型農園) ニューノーマル完全対応今回訪れたのは、八ヶ岳と甲斐駒ヶ岳に囲まれ富士山も一望できる小淵沢の小牧ヴィンヤード。1日に1組限定なので、完全に

20年前のキューバ(2002年の旅の記憶、前編)

映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」が日本で公開され、是非とも現地でキューバ音楽を聴いてみたい!となり、旅立つまでたいした時間はかからなかった。 身軽だったのだ。 ただ、フイルムの時代だったのでカメラは大きくて重かった。F5とF3を2台体制で運用していた。フィルムの感度を分けたり、ネガとリバーサルで分けたり、モノクロとカラーでわけたり。でもこの時はたしかに2台ともリバーサルフィルムを入れていたはず。 当時アメリカとは国交が無いので、ヒューストンからメキシコのカンクン

20年前のキューバ(2002年の旅の記憶、後編)

前編ではハバナ旧市街地を中心に散策した内容でしたが、ぶらりキューバの一人旅は、交通手段を手に入れて急展開していきます。 アメ車と乗り合いタクシー キューバの道路を走っている車がすべてというわけではないけど、1960年代のアメ車をよく見かける。 街を歩いていた観光ガイドと称する“ミスターオニール”に頼んで交渉してもらった。(基本的に乗り合い制なので、行き先とか運賃の交渉ができないと乗れない) 行き先を決めていたわけではないので、ガイドのミスターオニールの自宅に向かう。「

20年前のキューバ(2002年の旅の記憶、帰国編)

ヘミングウェイの泊まったホテル ハバナで泊まっていたのは、Hotel Ambos Mundos(アンボスムンドス)。 館内にはいくつかヘミングウェイに関する展示があります。 文章が長くなることを嫌ったヘミングウェイは、立った姿勢でタイプライターを打ったとのこと。現代で言えば、リモート会議を短く終わらせたいので立ってPCを手にもってやってれば15分で終わりそう。 宿に戻って、何の気なしにテレビをつけたらオリンピックの中継をしていた。2002年なので冬季のソルトレークシテ