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「ごめんね」「いいよ」をルールにしない。

「ごめんね」

「いいよ」

このやりとりで納得できることもあれば、大人が子どもの想いや事実の橋渡し役となることで、自然とこの言葉が出てくることもあるでしょう。

しかし、大人が形式的に言わせたやりとりでは、‟仲直りさせた風”の包み紙にくるまれているだけで、肝心の中身は ‟当事者の子どもたちが納得していない” というケースに出会うことがあります。

また、そうさせることが先生のスキルのように扱われている環境にいて、モヤモヤを抱えている方もいるでしょう。

スムーズに解決したその場面の、”見栄え”を見ている人は、子どもの存在をどうとらえているのでしょうか。

なかには、息を吸うように「ごめんね」「いいよ」を強いることが身についていて、それがどんな影響を及ぼすかに、気づく気配のないケースもありますよね。そして、よかれと思って使っている人にとって、やらせた大人側の満足感も高いのが厄介です。

「謝れない背景」に目を向けていますか?

「いいよ」と言えない心持ちに寄り添っていますか?

そう聞きたくなります。

納得せず言わされた「ごめんね」に意味はあるのか?

これは、幼稚園教諭時代に感じた違和感から生まれた問いです。

5歳児同士のケンカでよく見られた、言ってるだけの、

「ご め ん ね っ !!怒」

謝りたいけどまだ怒りがおさまってないだけ…
そんな背景があるとまだ微笑ましいですが、

大人に「言わされて」謝る経験を重ねた場合に、質を違えた「ごめんね」が身についていることが見えました。

例えば、

◯とにかく連発

・「ごめんねごめんねごめんね…!」

悪かったとは思いつつも【先生に言わないで!】が強めに込められているようです。(先生との関係性はここでは置いておきますが、)これを繰り返すと、大事なことと向き合わずに、自分に都合よく相手をコントロールする術が磨かれていくことが考えられます。一つ一つ丁寧にやり取りすることは大変かもしれません。しかし、対話するパワフルさを知っていること、失敗を次に繋げる文化が根付いていくこと、そういった方向を見てコミュニケーションを起こす姿勢が保育や教育の現場に必要だと考えています。
◯使いどころが…

「先生に言ってく(る)…」
『ごめんね!!!(被せ気味)』

【それだけは辞めてくれ】の意。

「ごめんね」を怒られない手段に使う。その手法に頼り、使うことに慣れてしまうと、そのループから抜け出しにくくなることがあるようです。また、「先生に言ってくる」を脅しに使うことは、保育環境のあり方が影響していることもあるでしょう。

怒られたくないという心情は自然なことだと思いますし、怒られることが全くない人生ということもほとんどないでしょう。社会にはいろんな考え方の人がいますから。

しかし、子どものこの背景に寄り添った上で、意図のある、丁寧かつ適切なコミュニケーションを重ねていくことが、保育者の専門性であると言えます。

※ここで言う意図とは、子どもの尊重や承認、前進への願いなどの「目指す方向」を意味しています。おへその向きです。大人の都合に子どもを従わせるような意味ではありません。

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保育者のあり方にフォーカスしてみる。

「ほら、こういう時なんて言うの?」
(本当のメッセージ:ごめんねって言いなさい)

「ごめんねしてるよ?」
(本当のメッセージ:いいよって言おうね)

これは先生の側にある答えを子どもに探させるアプローチです。

残念ながら、説得するスキルを磨いて、「スムーズに解決させる」あり方になってしまっている方もいますね。

これでは、子どもが置いてけぼりになっています。

その子の年齢やその子の「今」によって変わってくる部分はありますが、4・5歳児の子どもたちと保育者のあり方をイメージして書き進めると、こんな関わりが大事だと考えています。

子どもが、
・自分の内側に目を向ける。
・相手にも思いを馳せてみる。
・起こったことから考えてみる。

そのために保育者に必要なのは、

・起こったことと気持ちに向き合う時間をつくること
・子どもの気持ちや状況を受け取った上で、伝える必要があることを伝えること
・その場では子どもに伝わっていないように思えても「こうあるべき」で行動を強制したくなる反応を手放すこと

それをあり方で表現すると、

・そのまま受け取るあり方
解釈や主観での判断をいったん脇に置いて、ただ聞くこと。

否定も肯定もせずに、もちろんレッテルも貼らず、そういう行動を取らざるを得なかった背景に触れる。

解釈やアドバイスはこの段階で不要です。

コミュニケーションの入口にそんなあり方があることでどんな変化があるか観察してみてください。観察が機能すると、その空間で起こる行動に変化が出てくることがあります。

このあり方のとき、「なんで〇〇したの?」「また?」「何回言えば分かるの?」は出てきません。

出てくるのは、「何があったの?」「どうしたの?」という言葉。

子どもの生きている”今”に意識が向くあり方です。

・間を大切にするあり方
子どもが考える時間を持てるようにする。矢継ぎ早に質問するのは、考えさせない関わりです。

保育者のモノサシで決めた考える時間の長さではなく、その子のペースを掴んで関わりを持ってほしいなと思います。

そうはできない状況のときもあるので、葛藤が生まれるかもしれませんが、それでもなんとかその「間」をつくれないかに取り組んでいくのが、保育者として大事な資質だと考えています。

ただ、保育者同士で監視して、できる先生できない先生の評価軸を持っているような環境では難しいです。

保育者同士の関係性にアプローチすることが、あり方を整えるうえでは大切になってきます。

あり方から入ると、チームと個人の行動が変わっていく。

子どもに対して威圧的な保育者が、子どもを尊重する保育者へと変わっていく場に出会ったとき、そう感じました。

子どもへかける言葉や提案が変わっていきました。

「ごめんね」「いいよ」を言わせる関わりではなく、そこに至るプロセスと至らないプロセス、どちらにしても、子どもに起きていることを尊重する関わり。

そして、保育者が変わると、子どもの行動も変わってくるんですよね。

すぐに「いいよ」と言えない気持ちにも寄り添いたいですし、謝ったからすぐに許されるものではない、許されるために謝るのではないということ。これを感じ取れるようなコミュニケーションが起こる空間作りをしていきます。

そのためには、同僚同士やチームとして、機能する対話を重ねることは欠かせません。

「ごめんね」「いいよ」をルールにしない。

子どもたちが本来持っているコミュニケーションの多様さや多彩さを大切にできる保育者で在りたいです。

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