【コラム これからの保育のために】第4回 価値観のギャップと子育て支援

子育てに対する価値観は、さまざまな面でかつてとは大きく変化しています。
昭和の頃の価値観といまではあまりに大きなへだたりがあることでしょう。

たとえば体罰はかつては許容されていたどころではなく、むしろ積極的に推進すらされていました。それは次のような一般に流布していた文言にも現れています。

「親に叩かれたことがないなんてかえってかわいそうだ」
「親に叩かれたこともないようではまともに育たない」

いまではとても公言できないようなこうした言葉が、まことしやかに世間の人の口にのぼったり、本や映画・ドラマなどのメディアで描かれていました。

もちろん現在では保育関係者のだれもがこうしたことを否定するでしょう。
しかし、感覚として完全に払拭できているかといえば、現実にはそうではありません。

体罰を肯定はしないにしても、「大人が高圧的に子供を支配束縛する」ことを是とする感覚は強く残っています。
子供を大人と変わらない一個の人格として、支配束縛、コントロールではなく、人格・人権の主体としてとらえて現実に保育を構築・確立するところまで、つまり理念と実践がともなうかたちで専門性を高めて、個々の職員までに浸透させられた保育施設は必ずしもそう多くないことでしょう。

この「大人が子供の支配者になり行動をコントロールするものだ」という、子供観、子育て観は、保育構築に密接に関わるだけでなく、保護者への見方にも大きく影響します。
そうした感覚が残っていると、結局のところ「いまの親は甘い」といった類いの見解におちいるからです。

しかし、現在の保護者がもっている価値観は、そもそもそうしたものから大きく進歩しています。
子供に対しても高圧的や威圧的な関わりがよろしくないのだという感覚はむしろ自然なものになっています。
それは社会や人権感覚の進歩であり、とてもよいことです。
こうした価値観の変化ゆえに、子供の虐待問題などに以前よりも多くの人が関心を持ち対応されるようになってきていることからもそれはあきらかです。

いっぽうでそれがために子育てで直面する難しさがでているのもまた事実です。

前回のコラムで保育士の姿として描いた、子供が危険なことをしていても実質的な対応ができないという問題は、そのまま現代の保護者にも起きています。

ここでもこの課題があるわけです。

「強い関わりがよくないのはわかっている。でも、じゃあどうやって対処したらいいのかがわからない」

これです。

これに対して、保育者の価値観が古ければ、「もっと強い関わりをしなさい」になります。このアプローチには「それをしない大人は甘い」という認識が見え隠れしてしまいます。

これでは現代の保護者からは受け入れられません。
「頼りになる専門職・プロ」ではなく、「ああ、昔の価値観の人なのね」と思われてしまうのも当然です。

本来であれば、そうした価値観の進歩を当然ながら理解した上で、じゃあどういう対処法があるのかを提示できること、またそれ以前に保護者に頑張りを求めるのではないアプローチができてこそ、現代で必要とされる子育て支援が成り立ちます。

しかしながら、子育て支援以前に前回のケースで上げた危険に手をこまねいてしまう保育士に適切な対応法を言語化して伝授できない段階では、保護者の支援も当然ながらできません。

子供への見方つまり子供観、保育観、子育て観といった理念の整備の上に、実践的な対応法を保育者自身がまずは理解しておく必要があるわけです。

保育士おとーちゃんこと須賀義一です。 保育や子育てについて考えたことを書いています。