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天の景色と地の景色


下から見上げて上がってみたいと思わせたのは、随分と久しぶりかもしれない。
天に届きそうなガラス張りの巨大なタワーを眺めていたら、さぞかし絶景が見れるだろうと思えたのだ。
「チケットを買いませんか?」
ほぼ真横からピラリと紙が差し込まれた。
腕の主を辿ると、声を掛けてきた女性が、オレの目の前に回り込んできた。
うーん、こういうのって今のご時世じゃ、殆ど見かけなくなったものだが、思わずダフ屋の何かと思い周囲を見回した。
窓口らしきものはない。
そういえばダフ屋行為は法の縛りで出来ないはずだ。とすると恐らくは、公式スタッフとも思えるが、売り方が雑だ。人にチケットをいきなり勧めるなんて怪しいじゃないかと文句が出そうになった。だが、数メートルも離れていないところで、同じようにチケットの購入を促されてる家族連れがいた。
おいおい、買う人がいるんかい!
面を食らい直ぐには声を出せないでいると「1枚1500円ですよ。入場チケット」と、間髪入れずにチケットをオレの目の前でピラピラと、再び差し出された。
いやいや、これを素直に受け取ったら、オレは買うことになるでしょ。差し出されたからといって、はいそうですかと、受け取るわけにはいかないよね普通は。
マジマジとよく見ると、目の大きなパッチリとした長い睫毛に、頬は薄い紅の化粧をしていて、ピンクのラメ入りの唇が魅力的な推定20代くらいの若い女性のようだった。
なんなのだろう。まるで野球ドームの会場でビールを手売りで販売してるような姿に似ている。いや、それよりもユニバーサルスタジオのSF系施設にいそうなキャストを連想させる方が正しいかもしれない。銀色をベースに差し色がオレンジというサンバイザーとポロシャツに、配色がお揃いのピチピチの短パンを履いた彼女は、戦略なのかワザとなのか、胸元が少しはだけていた。
「どうしますか。ないと入れませんけど」
「チケットは入場制なの?」
「ええ。今ここで買えば安いですよ?」
質問の答えを更に質問で返された。なかなかに押しが強い。彼女の背後にそびえ立つ巨大なタワーをもう一度、目線だけ見上げてから、彼女の手に持つチケットに視線を落とした。
グイグイと迫る彼女の後方には、建物の入り口に入場する列が、どんどん出来ていく。
「分かったよ。入場チケットを1枚買おう」
殆ど衝動的な購入だった。上からの景色は、どんな感じなのだろうかと、早く入りたい気分になったのだ。決してセクシーなお姉さんにあてられて買うのではない。
「ありがとうございます!」
溌剌とした顔で彼女は笑うと、片手にはチケットを、もう片方の掌は既に広げられていた。支払いを待っているようだ。
「じゃあコレで支払いね」
カードを、差し出された掌にポンと置くと、彼女はさっと眉を顰めた。
「ダメです。現金でお願いします」
直ぐにカードを返却されて、眉を釣り上げ、上目遣いで睨まれた。
「はぁマジ!?」
「そうですよ。現金のみです!」
オレは現金は持たない主義だ。最近じゃあキャッシュレスが当たり前になっている。小銭って自販機で飲み物を買うときくらいしか使わなくなってきたが、今でも街中で現金対応というのは、まだまだ無くならないものなのだろう。
しかし財布の中身は小銭だけ。トータルで数えると950円くらいしか入っていない。
「いや、ちょっと参ったな」
「この高層ビルの展望フロアに入場したいなら、チケットがなきゃ」
自身の後ろを指すように親指を突き立てられて「予約チケットがあれば便利ですよ」と催促された。
「待ってよ、予約って何?」
「え?」
「だからチケットって当日券じゃないの?」
「違いますよ。後日入場いただける予約チケットです。今日はプレオープンですので、都民だけ無料でご入場いただけます。今日以降は予約チケットが必要です。でも今ここで買えば凄く安く買えます。ネット販売は4千円で公式サイトから購入となります」
オレは小さく溜め息をついた。
ここで列に並ぶ前に足止めを喰らい、時間を要してしまったことに怒っては、大人気ない。
なぁ、そうだろう自分よ?
そんな風に怒りたくなる自分自身の気持ちを諌めながら、極めて冷静な態度で、小銭しか持っていない事を告げた。
彼女は目を見開くと、それではご利用の際にはお声がけくださいと言葉を残して、背中を向けた。
さてと、行きますかーー。
深く溜め息をついてから、最後尾に向かい、人の列に並んだ。
都民なら、プレオープンで入場できることすら知らなかったのは、オレの確認不足だ。何となく足が向いて下調べなしで来ちゃうことってたまにはあるんだよね。
それに、どんな展望フロアなのかを確認してから買うのは遅くはないだろうし、景色を眺めた感動の度合いによっては、公式から直接購入したくなるかもしれないだろ。
建物の周囲にまで伸びていた列は、ぐんぐんと前に進んだ。ようやく入り口付近に差し掛かると看板が見えてきた。
前の人とは間を空けて乗ることを促すように、人の形をしたイラストに2mの記載があった。
決められたルールで階段の二段分を空けて、人がエスカレーターに乗り込んでいく。
俺の順番になり、上昇用のエスカレーターに乗った。
下から見上げていたときは、ガラス張りだったから、上昇中は外をてっきり眺められるものかと思っていた。残念ながらコンクリートの中を登るだけだったが、それだけ期待値は上がるってもんだ。
高層ビルの中には飲食ができるスペースに、土産物屋が並ぶフロアもあれば、伝統的な工芸品を中心とした特別展示スペースのフロアもあった。
「いろいろあるんだな」
各フロアに上がるたび、パラパラと人は降りて行く。
これは思ったよりも、ゆったりと眺めの良い景色が拝めそうな気がした。
県外からも人の流入規制が解除された時期だ。
都民の特権を利用した展望は、今だけの機会だろう。
あ、次の階層だ!
ワクワクしながら展望フロアが見えてくると、何だか奇妙に感じた。
「ん、なんだあれ?」
よく見ると、フロアには何かが床に散らばっている。何だろうと、エスカレーターから降りてみた。
黒いタイル張りの床には、一面に桜の花びらが敷き詰められていた。
インスタ映えというやつだろうか。傍を見やると、カップルだろうか女性が桜の花びらを両手いっぱいに持ち上げた後で、空中に花びらを放り投げた。彼氏らしき男性がカメラを女性に向けてタイミング良く撮影している。
遠くに高い建物が連なる景色を背景に、花びらの舞う中で彼女を写している。それって、被写体を彼女にフォーカスしているなら、ここで撮影する意味があるのだろうか。
そんな不思議なフロアを歩いて、ガラスの向こう側にある外の景色を眺めてみた。
列に並んでいた時には青空が広がっていたが、いつのまにか曇天の空に変わっていた。
それでも景色は完全には見えなくもなかったが、なんとも悪いタイミングだろう。こんなときに展望することになったオレは残念な客なのだろうか。
「あ、だからか!」と思わず先ほどのカップルを思い出す。
彼らも曇天の景色じゃ、よく景観できなかったからこそ、室内で出来るインスタ映えの撮影で楽しんでいたのだ。
まぁ、気を取り直して、もう一度ガラスの向こう側を眺めることにした。
「へぇ意外だな」
どこも角ばっていて高層ビル群が連なる景色なのだろうと勝手に思っていたが、全然違っていた。青緑色の外壁を持ちドームのような丸い形状の建物があちこちに、こじんまりと建てられている。
変わった建物が結構あるんだな。
更に丸い形状の建造物には雑木林で取り囲むように埋め尽くされていた。
「こちらへどうぞ」
声が聞こえて振り返った。
フロアの一角には、女性が立っていた。チケット販売をしていた女性と同じ格好のスタッフが、展望フロアにいる客に呼び掛けていた。
どうやら道案内をしてくれるらしい。
呼びかけと手招きされて誘われるままに、集合した客の割と後ろの方でオレは待機した。
集まった人たちを端から端へ一通り眺めた道案内役の彼女は、先頭で誘導するように歩き出した。後ろの方から付いていくと、フロアの中央の壁に辿り着く。先頭にいる道案内人が、内側から押して扉が開かれた。
遠目からは何もない真っ黒な壁だと思えたが、別のフロアへ向かう連絡通路のような場所らしい。
フロアからは見えない景色を、より眺められるのは良いのことだ。そんな仕掛けが施されているとは、なかなか面白いではないか!
先ほどまで残念に沈んでいた気持ちが浮上して、再びワクワクとした気持ちで展望フロアの扉から外へ出た。
色が一層濃くなった気がした。早朝5時のような朝もやと曇天の空という景観を望むには、あまり良くない天候だ。
先頭は、一体どうなっているのだろうか?
オレの位置からでは、よく見えなかった。だが進行は早かったし、人の列はスムースに進み、さぁどんな景色かと人の履けたあとで見えてきた。
「いやいや嘘でしょ」
青味がかる木々で覆い尽くされたそこには、石畳のスペースの中に石像が、ちょこんと立っていた。くちばしがあって、まん丸の目に髪が生えていて、半身は魚の格好をした石像だった。巷では最近テレビでよく紹介されてた気がする。確か、疫病退散として知られる日本の妖怪だ。石像はそれそのものに思えるがーー。
案内人は何も告げずに通り過ぎてしまった。
どう考えても、ここが地上から最も高い眺めの良い景色とは言えないだろう。
何なんだこの建物は。こんなおかしな展望が都心のど真ん中に、かつてあっただろうか?
東京タワーでもスカイツリーでも、世界の名だたる眺めの良いタワーは幾つもある。めちゃくちゃ良い景観が見られるのに、ここはハッキリ言って他と比較したら、天と地の差だ。
あれ、それよりオレって何をキッカケに、このガラス張りの巨大タワーに来たんだっけ?
新聞で知ったのか、テレビで知ったのか、人に勧められたのか、それともSNSで見かけたことだったのか、どうしてもキッカケが思い出せない。
道を歩いていて、ふと見上げて気になったから入って見たくなったという好奇心は決して嘘ではない。下調べなしに心の赴くままに行きたい場所へノープランで向かうのが、オレの人生において楽しみ方の1つなのだ。
自分の性格を考えたら、多分テレビかSNSだろう。頭の中にインプットされた巨大タワーに、行かねばならないという気持ちに、きっと迫られて体が動いたのだ。
連絡通路を抜けると「お疲れさまでした」という声が聞こえた。
一緒にいた他の客たちも方々へ散っていく。小さな人の群れがオレの前からいなくなると、もうそこには外の景色を眺めるような場所ではなかった。
見学は終了だと言わんばかりに、窓1つすら何もないフロアに辿り着いただけの空間だった。
ふと話し声が聞こえて振り返ると、先ほどのカップルがスマートフォンの画面を見ながら話し合い、オレの前を通り過ぎた。彼らは、フロアの中央に辿り着くと、下に向かうだけのエスカレーターに乗って降りていく。
お楽しみコースは本当に終了したらしい。
正直いうと、そんな実感があまりなかった。
天候が悪くても楽しく展望できないオレが残念なのか、それとも訳のわからない展望フロアと展示スペースらしき場所そのものが残念なのか。
イライラとした気持ちと、期待感をすっ飛ばした虚無感と、拍子抜けした脱力感のない交ぜになった感情に頭を抱えたくなった。
いくら考えても時間を食うだけだろうな。
仕方なく階下へ向かい、カップルの後から少し遅れてエスカレーターに足を乗せた。
人によっては、興味深いなんとも不思議なコースと言えるのかもしれない。オレの感想としては有料でチケットを購入し入場する展望コースとしては完全に物足りなさを感じた。
というより、500円でも払いたくないほど行くだけムダだろうと思えるほどに酷かったが。
うん間違いなく、それがマジで心からの本音だ。
「あーオレの時間を返してくれよ!」
思わず漏れた独白に、ぼんやりとしたまま階下についたフロアに足を踏み入れたときだった。
ふわりと真っ白なライトで全方位から照らされて、思わず目元を手で覆った。
恐る恐るそっと指の隙間から伺うと、よく見慣れた景色がそこにはあった。
自分のベッドの上から見えた壁と天井。
ちょうどカーテンから漏れた日の光は、オレの顔を直撃していた。

了.


宝城亘.


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