見出し画像

世界がなくなるその日まで


「世界の人々が少しづつ亡くなっていく中で、そんな状況の最中に、一体どう過ごせば良いと思う?」
投げかけられた疑問をまず噛み砕いて理解するように、片手に握る海鮮の乾き物を一口齧る。薄っすらとサーモンピンクを残して白い脚の乾物は、噛めば噛むほど味わい深くミネラルをぎゅっと詰め込んだ海の幸だ。
「それは世界の終末のことを言ってるのかな?」
ついでに並々と注いだビールグラスを持ち上げて、口を付けた。キメの細かい泡がシュワシュワと音を立てる。
「違うわ。叔父さま。そうじゃなくて、世界の人たちが戦争や病気で毎日誰かが死んでしまう世の中で、どう過ごす事がベストなのかを聞きたいの。不安を感じながら過ごすなんて私には出来ない。というかムリだし」
「それで?」
「だから博識の叔父さまに聞きたいの。そんな現実があるのに、どう過ごせば良いのかっていう正解を知りたいのよ。正解を知っていれば、どうやって生き抜いたら良いのか、何が一番良い回避になるのか、そういうことを知りたいの。だって、考えるのが私には難しいし、戦争も病気も無縁でいたいのが本音よ。私には、自分の夢があるし」
「夢?」
「自由に生きたいの。あと3年で16歳よ。一人で海外旅行をしてみたい。トラベラーになりたいの」
「一人だけで海外旅行は怖くない?」
「怖くはないわ。乗り換えをする国で友達と会うし、それに旅行中の様子はずっとYouTubeライブで配信するから心配ならライブをみて。私にいつでも連絡出来るから」
溌剌とした目で私をみる彼女は、今すぐ答えを求めているようだ。
「うーん、そうだな」
どう説明しようかとも思うが、なかなか子供が理解できるレベルで、答えを与えるのは難しい。しかし博識と言われても、私は特別博識なわけじゃない。この子にとって、これまでに何でも答えてきたからこそ、この子の目線からみれば私は何でも知っている相手に映るのだろう。
「難しい質問だね。簡単にこうだという正解を提示できるわけじゃない。戦争は誰でも怖い。命を懸けて戦う現実がある中で、戦争に参加はしない人もいる。戦う人はもちろん命を懸けているから誰よりも死ぬことが真っ先にあるかもしれない。戦争に参加はしなくても回避するために避難をしても攻撃の巻き添いで命を落としてしまうかもしれない。そして人はまた病気も怖い。バランスの良い食事に適切な睡眠を十分に取ることや、適度な運動を心がけて行なっている人でも、病気になることはある。誰かが一番完璧にこうだと正しい選択と生き方をしている人なんて、実はいないというのが正直なところかな」
「嘘でしょ!」
ムンクの叫びのような驚きの表情を浮かべると、次に悲しみの表情になる。
「それじゃあ、私はずっと不安を抱えながら生きていかなくちゃいけないの?」
「エマ」
「嫌よ。ずっと引きこもりのような生活になって、もう10ヶ月近く経つのよ。私、本当に気が狂いそうになる」
「辛抱するんだ。エマ。冷静によく考えてごらん。今現在で、確かに世の中で世界の片隅では戦争は起きているかもしれない。今日も私たちの知らないところで、戦争で命を落とした人もいるとは思う。だけど、同時にまた別のどこかでは病気に罹って死ぬ人たちも、世界中にいるだろう。戦争は人と人が争うから死ぬ人たちがいるわけだけど、彼らはどちらか一方は死ぬような目に遭いたくないという不安があるからこそ、争いをせざるを得ない選択肢を取っているんだ。病気だって、誰でも罹りたくはない。だけど生きていく上では悩みや心配事を抱える上で人生が変わったりして、体にストレスという負担が掛かって病気になりやすくなるリスクを抱えてしまう現実もあるんだ。つまり、戦争も病気も、時と場所が違うだけで、誰でもその状況に巻き込まれてしまう」
エマは深い溜息をついた。
頭が痛くなりそうと言って、傍にあるコップを持ちオレンジジュースを飲んだ。半分ほどなくなったところで、テーブルに置くと暖炉に近寄った。
「叔父さま。こんな世の中、本当に嫌になっちゃう。3年後の旅行はできると思う?」
世の中で起きている流行病で、既にここから近い街は随分前に封鎖された。ここから更に遠くの道路上には政府からの指令で配置された迷彩服の男たちが立ちふさがり、何ピタリとも通さないように見張られている。住まいから約10キロほど離れた場所で待機しているのだ。
今のところ何処へにも行けないという現実はあるが、家から出ても周囲には同じ家はない。だから近所の誰かに見張られているわけでもない。こんな山奥にまで、戦争や流行病はやって来ない。だが監視下にずっと置かれているこの状況の狭さを、エマは感じてしまうのだ。
「流行病が終わっら、多分ね」
「多分じゃ困るわ」
暖炉から離れると、テーブルの側に戻ってきてストローでグラスの中をくるくる回した。
「SNSにね。今日読んだ話をしたの。ハリーポッターと炎のゴブレットよ。そうしたらね、感想のコメントに『良いね』の反応は直ぐに付いたけど『世の中がこんな大変なときに、呑気なやつだね』て書かれたの」
「それは悲しいね」
「悲しいどころかムカつくわ!」
「何故?」
同じ言葉を繰り返したエマは、唇が少し戦慄いた。
「だって読書を馬鹿にしたのよ!」
「その相手は知り合いなの?」
「そうよ。クラスメイト」
「じゃあ、クラスメイトは不安で堪らなくて、エマに嫉妬したんだね。なぜなら『世の中がこんな大変なときに』と前置きしてる。つまり流行病が蔓延る世界中で、自分は何をしたら良いのか、どうしたら良いのか答えが分からない状態だと言える。だけど、エマは読書をしてた。エマにはハリーポッターという世界の中を知りたかったからだ。つまり、エマにとって知らない世界や景色を知ることが本の中にあるから読書をしたんだ。それはとても良いことだよ。もしエマが流行病を何とかできる力があるのなら、読書なんてしていないだろう。だけど、エマが今一番できることを選択した。だろう?」
「そうね」
「だけど、クラスメイトはエマのような行動は取れなかったんだよ。流行病で世界が変わりゆく様子に焦っているのかもしれない。あるいは、周りにいる人たちが次々に流行病に罹ってしまうことの恐怖を感じているのかもしれない。そんな状態でクラスメイトは多分、ゆっくり落ち着いて本は読めないだろうね」
エマは残りのコップを傾けるとストローを思い切り吸い上げた。カラカラとアイスブロック同士がぶつかり、エマは小さく息を付いた。
「あいつがどう思おうと迷惑よ。愚痴を言ったところで世界が変わるわけじゃないわ。自分を変えていかなきゃ、いくら不安を持ってもキリがないじゃない」
独白のように聞こえたが、それは彼女なりの答えをもう見付けているようだった。
「叔父さま。聞いてくれてありがとう。まだ、私にはよく分からないことが多くあり過ぎるけれどね」
空になったコップを持ち、彼女は部屋を出て行った。

少し前まで、まだ小さかったような気がしたが子供とは、こんなにも早く大きくなるものなのだろうか。ただ将来がユーチューバーになりたいという意志は一年くらい前から持ち始めたようで将来設計には難があると思えた。

ロックダウン300日目。
- エマは、ただ一人、人里離れた山脈の麓で、今日も元気に暮らしている。
1000キロ以上離れた地域に住む、私を作ったエマの母親へ。送信終わり。

仮想現実世界から、私はAIとして、今日も彼女を見守っている。


宝城亘.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?