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私が社会貢献したい理由|「花は咲く」から考えたこと

HOKAGO.comのあつしです。
今回は自分語りをさせてください。

「花は咲く」を聴いて思い出したこと

ここ数日、聴くとつい涙してしまう曲がある。
それは、「花は咲く」という曲。
東日本大震災の復興テーマソングとして作られた曲だ。

これは冒頭の一節。

真っ白な雪道に春風香る
わたしはなつかしい
あの街を思い出す

もうこの歌いだしだけで涙腺が緩んでしまう。
この一節を聴くと、浮かぶ光景があるのだ。

おじいちゃん子だった幼少期

私は小さいころから、おじいちゃん子だった。
物心がついたときには一緒にボール遊びをしていたし、
生まれて初めての遊び友達がおじいちゃんだったと言っても過言ではない。

小学校の時にはそれまでの寝室を卒業して、おじいちゃんの寝ている脇に布団を敷いて寝るようになった。
夜中に「おしっこ行くぞ!」と何度も起こされるのだけど、そんな煩わしさも好きだった。

なぜか「花は咲く」の冒頭の歌詞を聴くと、
そんな祖父と手をつないで散歩した、幼いころの記憶が鮮明に蘇ってきて泣いてしまう。

桜の木が並ぶ土手を、一緒に歌を歌いながら歩いたこと。
幼稚園までの道を、おじいちゃんと手をつないで一緒に歩いたこと。
20年も昔の記憶だが、つい先日の出来事のように思い出せる。

(自覚はしていなかったけど)その過去の影響か、
今のわたしは音楽を聴きながら散歩するのが趣味になっている。
休日には2,3時間平気でテクテクと一人で街を歩いている。

散歩をしていても、歩いていて楽しい道というのがある。
それは、駅と駅の間に広がる住宅街や公園を歩いているとき。
ときにはイヤホンを外し、人々の声や自然の音に耳を寄せる。

つまり、その地域に住んでいる人々の生活を感じられる道を歩いているときに楽しい/美しいと感じるのだ。
(逆に、首都高に空を阻まれているような道路は地域の体温を感じづらく、極力避けて歩いてしまう。)

私が人々の生活の営みに美しさを見出すのは、
高校生の時に地元で経験した東日本大震災の影響もあるのかもしれない。

電気も電波も届かない実家で、毎日新聞を見る度、災害の犠牲になった方々の数が信じられないほど増えていくことに恐怖を感じた。
私の住むたった3駅隣の街に暮らしていた人々から、当たり前の生活が一瞬で取り上げられてしまったのだから。

社会貢献をしたいという欲求の根本にあるもの

「花は咲く」の歌詞に戻ろう。
これはサビの歌詞。

花は花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう

私は、私が年老いてからも、大切な人とともに街を歩き「世界の景色は美しい」「社会は素晴らしい」と言えるような世の中をつくりたい。
そしてできるなら、少しでも多くの人に「世界は素晴らしい」という感覚を持ってほしいと思う。

今までなんとなく「仕事を通して社会貢献がしたい」という願望を抱えていたけど、なぜそう思うのかは自分でも全く分からなかった。
よくよく考えると、私が「社会に貢献したい」と思うのは、祖父と手をつないで歩いたあの光景への憧れがあるのではないか。

私はいつも過去を振り返ると、どうしても卑屈な思い出ばかりが自分を形成しているような感覚にとらわれていたけど、私の過去はそれだけじゃなかった。
おじいちゃんとの尊い思い出は、私を前向きに動かしてくれている原体験なのかもしれない。

祖父は数年前に他界してしまったけど、遠くに行ってしまった感覚は驚くほどにない。
祖父への感謝をこめて、私は素敵な社会を後世にのこす志を持ち続けようと強く思う。

HOKAGO.com 共同設立者
ATSUSHI

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