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保苅実と岡村靖幸。

ミノルは音楽が好きだった。博士論文が元になっているGurindji Journeyの謝辞("Author's Acknowledgement")に、お世話になった方々だけでなく、場所やモノも言及している。かなり珍しい、らしい。

Beside the Gurindji Country and Dreaming, I have to acknowledge the things and places that provided me with a wonderful research environment.......Music was simply essential to the research process and the completion of 
this thesis. Among the great albuns of great musicians, my special thanks 
are due to Ronny Jordan's Antidote, Tricky's Maxinquaye and Erikah Badu's Baduizm, which I played a hundred times while driving, reading, thinking 
and writing. 
- "Gurindji Journey: A Japanese Historian in the Outback", p. 68

ジャンルは選ばなかった。クラシックもジャズもナントカとかカントカとか私が知らないようなジャンルも聴いていて、彼なりのウンチクがあった。

暮らしの中で音楽をあまり聴かない私が、何かのきっかけでスガシカオの「午後のパレード」を聴いてあの声にハマった。彼が生きてたら、どう思うか聞いたのになぁと思うことは時々あるが、これもその一つ。

iPodがこの世に登場した時、あぁ生きていればこれは絶対に買ってあげたなぁ、と思った。一橋大学に入学して一人暮らしを始めたミノルが欲しがっていた初めてのコーヒーメーカーを買ってあげたのは私。ミノルが大学に入った年に、四つ上の私は就職したから、カウンターで好きなだけ食べていいよ、と渋谷のお鮨屋さんに連れて行ったのも私。

「小さい頃から、まるで、母親が二人いるみたいだったよね」

と母は言う。

ミノルがいなくなって、買ってあげる相手、ご馳走してあげる相手がいなくなってひどく寂しい思いをした。弟が生まれてきて弟がいて私は嬉しかったし、今も弟がいてよかったと思っている。大学の時、高校の先生に会いにいった時、「お前も優秀だったけれど、お前の弟はさらに優秀だなぁ」と言われて、悔しいどころか超得意だった。

彼が高校生の頃、岡村靖幸を私に聞かせてくれた。プリンスを意識してるような、アルバムの写真を見て二人で笑った。yellow、DATE、靖幸、家庭教師の4アルバムは、何度も聞いた覚えがある。

発病して治療中の頃、メルボルンのアパートで、私がKeith Jarretの "La Scala"を繰り返し聴いてたら、

「それあげるよ」
「いいよ、自分で買うよ」
「いや、あげる」

私たち家族は、結局、最後の最後まで「死の可能性」を受け入れなかった。遺言もなくて、本やCDや"Gurindji Journey"の原稿や、たくさんたくさんの遺品が私のところに来たけれど、あのCDが、彼が私に直接くれた唯一の形見になってしまった。

そして音楽の話になった。

「由紀ちゃん、岡村靖幸が久しぶりにアルバム出すんだよ」

そこでしばらく岡村靖幸の話で久しぶりに盛り上がった。

彼が亡くなってから4ヶ月後にアルバムが発売され、私はもちろんミノルに聴かせるために入手して何度も何度も聴いた。この文章を書くことにして、ちょっと最近の動向を調べたら、かなり色々あったらしい。生きていたらミノルはなんて言ったかな。でも彼の復帰を機に岡村靖幸を語る人たちは、彼のことを天才と呼んでいた。天才だったのか。やっぱりミノルはよく分かってたんだなぁと感心した。うぉ、今見たら、Spotifyで聴けるじゃないか。太ったけれど「愛はおしゃれじゃない」なんてあの頃と同じ声。そりゃそうか。

みぃちゃん、岡村がまた歌ってるよ。ぐーぐーちょきちょき、だって。

NOTE:
* 写真は保苅実が撮影したもの。向こうのオレンジのトラックが彼の愛車Pumpkin。

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