保苅由紀(保苅実とつながる会)

保苅実とつながる会 代表。歴史学者・保苅実(1971-2004)の実姉。「ラディカル・…

保苅由紀(保苅実とつながる会)

保苅実とつながる会 代表。歴史学者・保苅実(1971-2004)の実姉。「ラディカル・オーラル・ヒストリー:オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践」(御茶の水書房2004) (岩波現代文庫2018) 著作集2冊を刊行予定

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歴史学者 保苅実(1971.7.8-2004.5.10)

こんにちは。早逝した歴史学者 保苅実の姉、由紀です。最愛の弟を悪性リンパ腫で亡くしてから17年の月日が流れました。メモリアルウェブサイト"Being Connected with HOKARI MINORU"を立ち上げ、彼が遺した唯一の著書「ラディカル・オーラル・ヒストリー:オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践」の活躍を見守り、彼のラップトップに残っていた英語原稿を"Gurindji Journey: A Japanese Historian in the Outback

    • 保苅実著作集:生命あふれる大地

      このたび「保苅実著作集 BOOK 1 〜生命あふれる大地」(図書出版みぎわ)を刊行しました。 彼が遺したたった一冊「ラディカル・オーラル・ヒストリー」が日本中を旅して多くの人々に出会いました。その旅を見守っていただけの私が、弟の死後20年となる今になって著作集をだそうという気持ちになったのは、保苅実を直接知らない読者や、保苅実の影響をうけた若い研究者が、私の目の前に現れてきたからに他なりません。 皆様のサポート(と、月にいるミノルの采配)なしにはこの出版はありえませんでし

      • UNSW 保苅実記念奨学金制度についてのご報告

        2024年は、保苅実にとって、私にとって、つながる会にとって大きな節目になります。大事なご報告が2つあります。超長文です。 まず、保苅実著作集(全2巻)の刊行予告がでました。Book 1はエッセイを中心に Book 2は論文を中心になっています。すべて発表済みの原稿なので遺稿集ではないのですが、こうやって著作集として二冊にまとまるというのはとてもいいものです。 さて。 20年前に設立された、ニューサウスウェールス大学(UNSW)インターナショナルハウス(IH)の保苅実記

        • 保苅実とつながる会ニュースレター:Dec 2023

          皆さん、こんにちは。年末年始のご挨拶にはちょっと早いですが、今週から子供たちが帰省しますので、その前に。 さて。ミノルが亡くなって1年後にうまれた娘の仁香瑠(ミドルネームは「みのり」)を、無事オハイオ州の大学に入寮させたのが8月半ばのことですが、私は10月半ばから三週間、日本に一時帰国しました。こんなに楽しく充実した一人旅はうまれて初めて。世話が必要な相手はいないし通訳の必要もなし。好きなときに好きなものを食べて、変貌した9年ぶりの東京、4年ぶりの日本で、アメリカ人化した私

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          保苅実。誕生日と命日の意味。

          6月の私の誕生日が来たら、ちょっとしてミノルの誕生日が来る。7月8日で彼は52歳になる、はずだった。 私は、ミノルの闘病中から彼の友人知人に、亡くなってからは何らかの形で彼とつながってくれた人たちも合わせて数百名に向けて年に数回、つながる会の活動報告としてのニュースレターを出している。 ミノルの命日5月10日。 ミノルの誕生日7月8日。 年末年始のご挨拶。 そのうち命日を意識するのが辛くなって、誕生日と年末年始の2回だけに減らした。 命日が来ると、娘が「ママ、今日大丈

          保苅実。誕生日と命日の意味。

          保苅実。入試問題に使われる「ラディカル」と著作権。

          これまでに何度も「ラディカル・オーラル・ヒストリー」が入試問題に使われている。使用されると、著作権料の支払いについて私のところに連絡がくる。 掲載許可が1年だけだったり5年だったりするし、掲載先が当該大学のウェブサイトだったり予備校の問題集データベースだったりして、その条件によって著作権料が違うのだろう、金額は様々であるが、入金された著作権料は全て「保苅実とつながる会」の活動費になっている。 使われている箇所は、以下の一文から始まる各所。 歴史はどこからやってくるのだろ

          保苅実。入試問題に使われる「ラディカル」と著作権。

          保苅実。遺された、あるE-mailから。

          彼らしい章を最後にもってきたと思う。この本が出る頃には自分がもうこの世にはいないことを想定して、著者である保苅実という後ろ盾のいないこの本が受ける賞賛と批判に備えて、彼らしく万全な準備をしたと思う。 数多くの書評が出て、わかったようなことを言いやがって、と思うこともあった。著者が死んでるからって反論がこないってわかってて、勝手なことを言うなんて卑怯な、と思うこともあった。 姉である私が、彼が遺した「ラディカル」を見守りサポートするしかない、と思って活動してきた。彼の死から

          保苅実。遺された、あるE-mailから。

          保苅実とつながる会ニュースレター: January 5, 2023

          皆様、明けましておめでとうございます。大学4年生の息子が帰省して家族の時間をゆっくり過ごしていたため、年内にお便りできませんでした。 さて、良いニュースと悪いニュースがあります。重い心を抱えて、悪いニュースから先に。 ニューサウスウェールス大学インターナショナルハウスの保苅実記念奨学基金についてご報告しなければなりません。2003年に設立されてから、2016−17年にある種の「組織再編」があり、それ以来、私は知りませんでしたが、学長が2回変わっています。 今まで、一体何

          保苅実とつながる会ニュースレター: January 5, 2023

          保苅実。2003年のある私達姉弟のやりとり。

          私はとにかく書くことが好きで、日記だブログだと中学時代からあちこちに書きまくっていた。2003年のブログは不特定多数相手に書いていたのだけど、弟のミノルには近況を知らせるような気分で、URLを教えた。 このブログのことは誰にも言うなと言ってあったのに、亡くなってから、彼の元カノが読んでいたことがわかり、もしもまた書くことになったら知らせてください、と連絡が来たのだけれど、怒る相手はもうこの世にいなかった。 2003年ということは、彼が亡くなる1年半前。彼は32歳。私は36

          保苅実。2003年のある私達姉弟のやりとり。

          保苅実。稀にない悪筆。

          とにかく字が汚かった。あれほど知性に溢れた男だったのに、筆跡からはその微塵も感じられない。むしろそのチグハグさこそが、彼のスゴさを物語っているかのよう。笑。 私の四つ下。昭和46年(1971)生まれだから、14歳の彼の字。かなり意識的に丁寧に書いてるのがわかる。15年後の29歳の時に受け取ったはず。 姉の私がとりわけ美文字だったせいもあるのだろう、彼は悪筆にコンプレックスがあって、あちこちで似たようなことを書いている。 故人に追い討ちをかけるのは、と思わなくもないが、実

          保苅実。「個性的な人材」ついて考えてみた

          遺品を整理していたら、「350[サン・ゴー・マル]LIMITED」という文庫本が出てきた。日本の就職風景 Text Book とあって文化放送ブレーンによる出版。1993年。友達の日比野克哉くんも、別ページに登場している。 彼の声が聞こえてくるような文章だ。この頃にはもうオーストラリア先住民の研究に入っていたのだろうか。 卒論のタイトルは「オーストラリア先住民の歴史 ~アボリジニと近代~」

          保苅実。「個性的な人材」ついて考えてみた

          保苅実とつながる会ニュースレター: July 8, 2022

          みいちゃん、51歳!私たちも、年をとりましたね。100歳まで生きられる時代になり、まだまだ人生半分終わったとこ、みたいな印象ありますが、体力や脳の健康を考えたらあと20-25年といったところでしょうか。とはいうものの、バイデンは79歳でアメリカ大統領やってるし、86歳のパパは、脳梗塞から奇跡的な回復を果たし、ゴルフの毎日を楽しんでいるし、股関節の手術をしたママは、60歳みたいな姿で元気にしているので、まだ30-35年はいけるかもしれません。 今年の誕生日プレゼントは、長くお

          保苅実とつながる会ニュースレター: July 8, 2022

          保苅実。「葛藤」

          遺品を整理していたら、高校三年生の終わり頃に書かれたエッセイが出てきました。私とミノルは四つ違いですので、彼の高校時代、私は東京の大学に進み一人暮らしをしていたので、一緒に過ごしていません。誰もがもつ葛藤を、彼なりに言葉を尽くして書いています。 葛藤保苅 実 高校生活ものこりわずかになったが、三年間を振り返ってみると自分なりに随分色々なことを考えてきたように思われる。今回は、それらのことを思いつくままに書きつづってみたいと思う。 自分自身の中で常に迷い結論が出ないことに

          保苅実。詩 "Bike riders" by Ray Tauss

          Ray Taussは、保苅実の友人である。弟、保苅実は、悪性リンパ腫との診断を受け、息を引き取るまでの10ヶ月間、世界中の友人知人数百人に向けて八つのメッセージを書いた。それらのメッセージと一緒に、そしてときにはそれとは別に、姉として私からもメッセージを書いた。 2003年に彼が亡くなってからも毎年、命日と弟の誕生日と年末年始の三回、 英語と日本語で書くことにし、10年たって命日は辛くなってやめたが、彼がこの世に生まれたことを祝う意味の誕生日と、保苅実とつながる会をサポート

          保苅実。詩 "Bike riders" by Ray Tauss

          保苅実。次世代につなぐということ。

          保苅実とつながる会は、彼のこの願いを叶え続けることを活動の主旨としている。 「ラディカル・オーラル・ヒストリー:オーストラリア先住民の歴史実践」(御茶の水書房2004:岩波現代文庫2018)という一冊を遺してくれたから、保苅実がこの世を去った後も「ラディカル」は彼の分身として出会いの旅を続けている。 つながる会による最も大きな企画は、保苅実写真展の開催と図録販売である。当時、北海道立北方民族博物館の学芸員だった(現在は学芸主幹)笹倉いる美さんが、私の交流の中で提案し企画し

          保苅実。次世代につなぐということ。

          保苅実とつながる会ニュースレター:Dec/Jan 2021-22

          親愛なる皆様 デルタとオミクロンが荒れ狂うアメリカから年末年始のご挨拶です。 コロナ禍も3年目に入りましたが、皆さんご無事でおられるでしょうか。コロナ禍は私たちの生活のさまざまな側面や考え方に影響を与えています。アメリカ人の「個人主義」が、「自分は自分、他人は他人。それぞれに尊重されるべき」ではなく、「自分さえ良ければ他人はどうでもいい」傾向になっています。陽性の可能性があっても、検査をしたら自粛しなければならなくなるから検査をしない、という思考や、この後に及んでもまだ

          保苅実とつながる会ニュースレター:Dec/Jan 2021-22